土御門院小宰相(読み)つちみかどいんのこざいしょう

朝日日本歴史人物事典 「土御門院小宰相」の解説

土御門院小宰相

没年:文永2以降(1265)
生年:生年不詳
鎌倉時代歌人。従二位藤原家隆の娘。はじめは土御門天皇に,承久の乱(1221)を経て,その母承明門院在子(後鳥羽院中宮)に仕え承明門院小宰相とも呼ばれた。さらに在子出家ののちは,後嵯峨上皇に出仕した。嘉禎2(1236)年『遠島御歌合』,宝治1(1247)年『百三十番歌合』,同2年『宝治百首』,建長3(1251)年『影供歌合』,康元1(1256)年『百首歌合』,文永2(1265)年『十五夜歌合』などに出詠。御子左派と反御子左派の中間派に属していたと思われるが,真観選の『秋風集』に選歌されたり,反御子左派に父伝来の歌書類を見せていることなどから,反御子左派に近かったか。<参考文献>福田秀一『中世和歌史の研究

(谷知子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土御門院小宰相」の解説

土御門院小宰相 つちみかどいんの-こざいしょう

?-1265ごろ 鎌倉時代の女官,歌人。
藤原家隆の娘。土御門上皇の女房。上皇の土佐遷幸後はその母承明門院につかえ,承明門院小宰相ともよばれた。「遠島御歌合」「百首歌合」「十五夜歌合」などの作者のひとり。歌は「新勅撰(ちょくせん)和歌集」などの勅撰集に39首ある。文永2年ごろ死去。享年65歳前後。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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