地毗荘(読み)じびのしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「地毗荘」の意味・わかりやすい解説

地毗荘
じびのしょう

備後国(びんごのくに)北部山間地帯の荘園。現在の広島県庄原(しょうばら)市の西部にあたる。立荘年代は不詳。本家(ほんけ)・本所(ほんじょ)として蓮華王院(れんげおういん)(三十三間堂)、安井宮(やすいのみや)の名がみえ、さらに荘内各郷の領家職(りょうけしき)をめぐって、鎌倉・室町期を通じて嵯峨(さが)千光寺(せんこうじ)、山門石泉院(さんもんせきせんいん)、浄蓮華院(じょうれんげいん)、その他の間で複雑な変遷と争いが続いたらしい。地頭(じとう)は相模(さがみ)の御家人(ごけにん)山内首藤(やまのうちすどう)氏で、鎌倉中期以降荘内の郷・村にそれぞれ一族を土着させている。15世紀末までは少額ながら年貢も京進(きょうしん)されたが、すでに荘園としてのまとまりは失っており、まもなく山内氏の小戦国大名化に伴いその下に各郷ごとに姿を消した。荘域内には山内氏の氏寺(うじでら)円通寺(えんつうじ)本堂(国指定重要文化財)などの文化財、中世末以来の民俗を伝える宮座(みやざ)による祭礼などが残る。

山田 渉]

『佐々木銀弥著『荘園の商業』(1964・吉川弘文館)』

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世界大百科事典(旧版)内の地毗荘の言及

【備後国】より

…平重衡が預所(あずかりどころ)であった大田荘は争乱後,後白河上皇の計らいで86年(文治2)高野山へ寄進された。当国の源平争乱後の地頭としては信敷(しのお)荘の一条能保(よしやす)室,歌島の家清が知られるにすぎないが,92年(建久3)ころ三吉氏が三次,広沢実方が三谿郡十二郷,96年三善康信が大田荘下司(げし)橘兼隆・光家の跡,1204年(元久1)山内首藤(やまのうちすどう)氏が地毗(じび)荘のそれぞれ地頭に補せられ,幕府支配権が徐々に強化された。承久の乱(1221)後に地頭職を得たものに高洲(たかす)荘の藤原遠綱がある。…

※「地毗荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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