坂田 快太郎(読み)サカタ カイタロウ

20世紀日本人名事典 「坂田 快太郎」の解説

坂田 快太郎
サカタ カイタロウ

明治〜昭和期の医師:漢詩岡山県医師会初代会長;岡山医学専門学校教授。



生年
慶応1年10月28日(1865年)

没年
昭和6(1931)年1月20日

出生地
備中国川上郡日里村(岡山県美星町)

学歴〔年〕
帝国大学医科大学〔明治20年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治36年〕

経歴
蘭医の長男に生まれる。大叔父の漢学者阪谷朗廬を頼って上京し、明治20年帝国大学医科大学を卒業。21年岡山県医学校が昇格した第三高等中学校医学部の初代外科教授となり、学制改革後も引き続き22年間に渡り第三高等学校医学部教授、岡山医学専門学校教授を務め、岡山大学医学部外科の開祖といわれた。岡山県病院の外科医長を兼任していたため、岡山県から初めての留学生として、33年から2年間ドイツに派遣され、主としてブレスラウ大学で外科学のミクリッツ教授に師事した。帰国後、36年菅之芳医学専門学校校長に次いで岡山県では臨床医として2番目の医学博士になる。43年教授を退官して岡山市内で坂田病院を開業し、県下随一の外科医として有名であった。大正4〜13年初代岡山県医師会会長を務め、同会の設立と運営に尽力した。一方、漢詩人としても名高く、九峰と号して漢詩の会「西川吟社」を主宰し、更に俳句(俳号・梅紅)や短歌狂歌にも優れ、文才も豊かであった。また書もうまく岡山医界の3筆の1人と称され、生田流の琴の名手でもあり、当時の岡山を代表する文化人であった。一人息子の坂田一男抽象絵画先駆者として評価が高い。没後に遺稿集「九峰遺稿」「九峰遺墨集」が出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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