堀内素堂(読み)ほりうち・そどう

朝日日本歴史人物事典 「堀内素堂」の解説

堀内素堂

没年:安政1.3.18(1854.4.15)
生年:享和1(1801)
幕末蘭方医出羽米沢(山形県)生まれ。堀内忠明の次男。幼名は忠公,字は君栗または忠竜,のち忠亮と改めた。素堂は号。文政3(1820)年3月江戸に出て古賀穀堂漢学を,杉田立卿,青地林宗に蘭医学を学んだ。同5年米沢藩主上杉斉定の侍医を拝命した。藩の医学校好生館の枢務に携わり,漢方に代えて蘭方を教授するよう改革した。天保14(1843)年わが国最初の西洋小児科翻訳書『幼幼精義』(7巻)を刊行。初篇3巻は小児病の総論,第2篇4巻は疾病の症候や治則にあてられている。特に天然痘にくわしく,牛痘接種利害,痘苗良否に言及している。<著作>『保嬰瑣言』『幼幼一言』<参考文献>堀内亮一『堀内素堂』,北条元一『米沢藩医史私撰』

(深瀬泰旦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀内素堂」の解説

堀内素堂 ほりのうち-そどう

1801-1854 江戸時代後期の蘭方医。
享和元年生まれ。江戸で古賀穀堂(こくどう),杉田立卿(りゅうけい),青地林宗にまなび,帰郷して出羽(でわ)米沢藩(山形県)藩主の侍医となる。日本ではじめて西洋小児科医書を翻訳,「幼幼精義」として刊行した。坪井信道(しんどう),高野長英らと親交があり,脱獄した長英を米沢の自宅にかくまった。嘉永(かえい)7年3月18日死去。54歳。名は忠寛。字(あざな)は忠竜,忠亮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android