精選版 日本国語大辞典 「壬生」の意味・読み・例文・類語
みぶ【壬生】
みぶ【壬生】
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栃木県南部,下都賀(しもつが)郡の町。人口3万9605(2010)。宇都宮市の南西に接する。思川の支流,黒川沿いの台地を占める。中心集落の壬生は中世以来の城下町で,近世には壬生通りの宿場町,市場町としても発達し,黒川の河港はカンピョウなどの集散でにぎわった。黒川を境に西側は水田,東側は畑で,平地林が多い。藤井は栃木県内でも有数のカンピョウ産地で,ほかにイチゴのハウス栽培も盛んである。北部の台地には,1964年に東京の輸出玩具メーカーが集団移転した輸出玩具工場団地がある。73年には独協医科大学が開校した。宇都宮・栃木両市への通勤者が多く,1970年以降,流入人口が増えている。東武宇都宮線,国道352号線が通じ,北関東自動車道のインターチェンジがある。車塚古墳をはじめ史跡に指定された古墳は5基を数え,壬生通りの壬生一里塚も史跡となっている。
執筆者:千葉 立也
下野国の城下町,壬生通りの宿場。15世紀中ごろ土豪壬生氏が城を構えたが,1590年(天正18)小田原征伐で滅亡した。1602年(慶長7)日根野吉明(1万0900石)が城を再興し,17年(元和3)日光造営工事の副奉行をつとめた。城主は阿部忠秋,三浦正次をはじめ,松平(大河内)輝貞,加藤明英と頻繁に代わり,1712年(正徳2)鳥居氏が3万石で入り幕末に至った。藩主に若年寄クラスの重臣が置かれたのは,日光道中と併用された壬生通りの重要性の反映である。壬生城は元禄年間(1688-1704)松平輝貞のときに大改造され,壬生通り沿いの表町,城の東側の通町から成る城下町も整備された。六斎市は表町が2・7の日,通町が4・9の日である。日光造営や三浦氏3代(1639-92)の参勤の際に黒川の舟運が利用されたといわれ,城下の東岸に壬生五河岸が成立し,栃木,鹿沼,小山,宇都宮など各方面に通じる地方商業都市としても早くから栄えた。今市や会津地方の木材,薪炭,タバコのほか,江戸中期以降鹿沼周辺で盛んになった麻が積み出され,周辺の特産カンピョウも集散した。城の北方には,円仁(えんにん)の生誕地と伝えられる壬生寺がある。
執筆者:河内 八郎
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