多 忠亮(読み)オオノ タダスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「多 忠亮」の解説

多 忠亮
オオノ タダスケ


職業
バイオリニスト 作曲

生年月日
明治28年 5月3日

出身地
東京都

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)卒

経歴
古くから続く雅楽専業の多家に生まれるが、洋楽専念。東京音楽学校在学中の大正5年竹久夢二の絵入り小唄集「どんたく」を読み、その中の一編「宵待草」という詩に感激、すぐさまこれに曲を付けたい旨を夢二に問い合わせ、許可を受けるや詩に合わせた叙情的なメロディーを作曲した。同曲は7年楽譜として出版されて好評をもって迎えられ、演歌師によって全国に広まり大ヒット。夢二にとっても思い出の深い詩であったことから、涙を流して多に礼を述べたといわれる。卒業後、宮内省楽部のバイオリン奏者となるとともに、榊原直、平井保三との榊原トリオやハイドン・カルテットの一員としても活躍。バイオリン教師としても有名で、個人指導のほか東京音楽学校(東京芸術大学)、東洋音楽学校(東京音楽大学)、陸軍戸山学校などで教え、吉田敏夫、小林精一、三宅五郎、山田早苗ら優秀なバイオリニストを育てた。後年管弦楽の指揮にも力を注ぎ、15年のベートーヴェン「第1交響曲」、昭和4年のベートーヴェン「第5交響曲」の指揮は高く評価された。音楽家として将来を嘱望されたが、若くして没した。作曲家としては「宵待草」以外に2曲を作ったのみであった。

没年月日
昭和4年 12月5日 (1929年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「多 忠亮」の解説

多 忠亮
オオノ タダスケ

大正・昭和期のバイオリニスト,作曲家



生年
明治28(1895)年5月3日

没年
昭和4(1929)年12月5日

出身地
東京

学歴〔年〕
東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒

経歴
古くから続く雅楽専業の多家に生まれるが、洋楽に専念。音楽学校卒業後、宮内省楽部のバイオリン奏者として活躍。東京音楽学校、東洋音楽学校の教授も務めた。一方、大正6年頃竹下夢二の小唄集「どんたく」の中の詩に曲をつけ「宵待草」を作曲。演歌師によって全国に広まり大ヒットとなった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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