多 忠龍(読み)オオノ タダタツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「多 忠龍」の解説

多 忠龍
オオノ タダタツ


職業
雅楽

専門
左舞,笙,箏,クラリネット,神楽歌

肩書
宮内省式部職楽部楽長 帝国芸術院会員(雅楽)〔昭和12年〕

生年月日
元治2年 3月30日

出生地
京都府

経歴
旧京都方楽家多家第四庶流第9代目忠廉長男。明治5年5月式部寮等外一等出任の命により7歳で上京、同年11月伶員申付、延遼館で国賓饗応の舞楽胡蝶」を舞った。17年宮内省式部職雅楽部雅楽生、21年楽手兼伶人となり、35年雅楽師兼楽師、大正10年楽部楽長となった。この間、明治31年〜大正6年東京音楽学校講師(クラリネット)嘱託も務め、同校オーケストラにも参加した。13年退官し、楽部嘱託として後進を指導した。昭和12年帝国芸術院会員。著書に「雅楽」がある。

没年月日
昭和19年 12月22日 (1944年)

家族
父=多 忠廉

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「多 忠龍」の解説

多 忠龍
オオノ タダタツ

明治〜昭和期の雅楽師 宮内省式部職楽部楽長。



生年
元治2年3月30日(1865年)

没年
昭和19(1944)年12月22日

出生地
京都府

経歴
旧京都方楽家多家第四庶流第9代目忠廉の長男。明治5年5月式部寮等外一等出任の命により7歳で上京、同年11月伶員申付、延遼館で国賓饗応の舞楽「胡蝶」を舞った。17年宮内省式部職雅楽部雅楽生、21年楽手兼伶人となり、35年雅楽師兼楽師、大正10年楽部楽長となった。この間、明治31年〜大正6年東京音楽学校講師(クラリネット)嘱託も務め、同校オーケストラにも参加した。13年退官し、楽部嘱託として後進を指導した。昭和12年帝国芸術院会員。著書に「雅楽」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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