睡眠中に体験される感覚性心像(映像)をいう。ふつう夢は目覚めた後の回想によって意識される。そこで,睡眠中の脳の活動状態における表象の過程が〈夢意識〉であり,その覚醒時における回想が〈夢の内容〉であるということもできる。
夢の生理
夢の種類と夢の収集分析
夢と睡眠の関係を初めて明らかにしたのは,デメントW.C.DementとクレイトマンN.Kleitmanで,彼らの実験(1957)によると,被験者をレム睡眠時に目覚めさせたところ,191回のうち,152回(80%)は夢を思い出したが,ノンレム睡眠時には,160回のうち思い出したのは11回(6.9%)であった。その後,研究が進むにつれて,ノンレム睡眠時の夢の想起率(夢の想起回数/覚醒回数)も上昇し,最高74%になっている。夢の内容からみると,レム睡眠時には〈夢想型の夢dreaming-like dream〉といわれるものが多く,一方ノンレム睡眠時には〈思考型の夢thinking-like dream〉といわれるものが多い。〈夢想型の夢〉では夢内容が明瞭で,ときには非現実的な,あるいは覚醒時には思い出せないような〈古い記憶〉が再生される。一方,〈思考型の夢〉では夢内容が明瞭ではなく,本人もそれが夢ではなくて,考えていたことだと感じることが多く,寝る前に考えていたことや,あるいは最近悩んでいたことなど〈新しい記憶〉が再生されると考えられている。前者の例は朝方の夢,後者の例は寝入りばなの夢に代表される。
夢の収集は,より確実なレム睡眠期に覚醒させ,被検者の夢の内容についての報告を,テープレコーダーに録音しておき,後に事物,行動,人物など,内容そのものについて整理,分析をする〈レム睡眠期覚醒法〉が用いられている。同時に記録された眼球運動,筋電図,心電図などの末梢機能の変化と夢内容との関係についても調べられている。
〈レム睡眠期覚醒法〉はレム睡眠の最中に目覚めさせる方法であり,レム睡眠終了後5分以内に起こした場合でも夢をおぼえてはいるが,10分後に起こすと断片的かほとんどは夢を見なかったという。ということは日常生活では,ふつう1夜にレム睡眠は5回起こるので,少なくとも5個以上の〈夢想型の夢〉を見ているが,たまたま夢を見た後で5分以内に目を覚ましたときにおぼえているにすぎない。したがって,おぼえている1,2回の夢についてその内容のよしあしを判断したり,未来を予測するなどは統計的にもまったく無意味である。
夢の中で他人と口論をしている時には発語筋が活動しており,夢の中で怒っている時には心拍・呼吸数が増加し,ピンポンの夢を見ている時には眼球が左右に動くなど,夢を見ている時の脳は覚醒時と同様に末梢器官に指令的刺激を送っている。逆に眠っている時に涙をためたり,笑っている場合には悲しい夢や楽しい夢を見ているといえるだろう。
寝言についての研究は必ずしも多くないが,レム睡眠の時に起こる寝言は感情的なものであることが多く,その時の夢の内容も感情的なものであることが多いと報告されている。恐ろしい夢を見たときの叫び声,俗にいう〈夢にうなされる〉などはこの例であろう。一方,ノンレム睡眠時の寝言は,落ち着いた調子で,内容もその人の社会的・家庭的環境に関係のあることが多く,その時に起こしてみると,夢を見ていたというより,考えていたと答える場合が多かったという。いわゆる思考型の夢に入るようである。睡眠時に発語筋の活動電流を記録し,寝言を言わなくても,発語筋が働いたときに起こしてみると,ほとんどの場合,夢の中でものを言っていたという報告もある。イヌやネコなどの動物でも,睡眠中に声を出すことがある。松本の研究室でも,イヌがレム睡眠時にうなったり,かすかにほえたりすることが記録された。
夢と刺激
S.フロイトは〈夢の内容を作りあげる材料は,どんなものであろうとも,ひとがそれまでに体験したものから,なんらかの方法で採ってこられたものだということ,だからその材料は夢の中で再生産され,思い出されるということ,これは疑うに疑うことのできない事実とみてよかろう〉と述べている。またH.ベルグソンは〈夢そのものはほとんど過去の再生にすぎない〉と述べており,K.シュナイダーは〈昼間の生活の反映である〉と述べている。実際に筆者らが39人の学生について自宅・実験室でレム睡眠の時に起こして集めた297の夢の中で,その学生たちの過去に関連のある夢内容は232(78%)であった。
一方,フロイトは夢内容の源泉として外的感覚刺激,内的感覚刺激,内的身体刺激,純粋に心的な刺激の四つを採りあげ,外的感覚刺激としていろいろな刺激を眠っている人に与えている。たとえば,蠟燭の灯影を赤い紙ごしに何度も顔の上へ落とすと,嵐と暑熱の夢を見たとか,はさみでピンセットをたたくと暴風警報の鐘の鳴る夢を見たなどと書いているが,それはどのような睡眠パターンの時に与えられたかはわからない。
しかし,デメントらは1958年に実際に脳波・眼球運動などの睡眠ポリグラムを記録しながら,眠っている人がレム睡眠に入っている時に100Wのランプを顔に照らしたり,1000Hzの音を聞かせたり,皮膚に注射器で水を噴霧したり,水滴を落としたりして,その刺激で目を覚ました時,あるいは後で目を覚まさせた時の夢の内容について調べている。その結果によると,水の噴霧,光,音の順に夢の内容に刺激の入っている率が大きく,水の場合には計48回のうち20回も,水が落ちてきた,雨が降ってきたというような夢を見ている。さらにベルを鳴らした場合にはドアの呼鈴が鳴ったとか,電話がかかってきたというような夢を見ている。
このデメントらの結果の中で,ベルを鳴らした時に電話のかかってきた夢を見たということを大脳生理学的に分析してみると,被検者はアメリカに住んでおり,ベルと電話の関係は酸味と梅干のように,日常生活の中で本質的に組み合わされ,自然に強化されている,いわゆる〈自然条件反射〉を形成しているためにベルの音が電話を誘発したと考えられる。もし被検者が電話を知らないとしたならば,ベルの音を鳴らした時には,夢の中には電話は絶対に現れてこないだろう。
このように考えてくると,音は条件刺激であり,電話の夢はそれと結合した条件反射と考えることができる。この考えから,松本は〈夢は睡眠中の条件反射である〉,詳しく言えば〈夢は覚醒中に得られた条件反射の睡眠中の再現である〉という作業仮説を立てた。
この作業仮説を証明するために,次の実験を行った。まずパブロフの原法にしたがって,イヌの覚醒時に500Hzの純音を聞かせ,同時に餌を与えることによって,音だけで耳下腺唾液の分泌される条件反射を形成した後に,イヌが眠った時に音を聞かせたところが,条件反射性の唾液分泌はノンレム睡眠期には見られたが,レム睡眠期には認められなかった。レム睡眠期には外的感覚刺激が脳内に入り難いという性質のあることを克服するために,次にネコを使ってネコの脳内電気刺激を条件刺激にすることにした。その場所としては,デメントらの皮膚刺激が夢内容に取りこまれやすいという報告から考えて,手の皮膚刺激を大脳皮質感覚野へ中継する視床の腹後側核に電極を挿入して電気刺激を与えることにした。この唾液条件反射は,覚醒時に9~22日間の強化で形成されたが,イヌと同様にノンレム睡眠時にのみ条件反射性唾液分泌が認められた。そこでレム睡眠時不成功の理由について考えてみると,既述のように人間のノンレム睡眠期の夢には新しい記憶の再生による思考型のものが多く,レム睡眠期の夢には古い記憶の再生による夢想型のものが多いことから,子ネコの時から条件反射をつけて長期にわたって強化することにした。生後3ヵ月から条件反射をつけて4歳4ヵ月になった時に調べたところ,ノンレム睡眠期のみでなく,レム睡眠期にも条件反射性の唾液分泌が認められ,同時に急速眼球運動が伴うことも確認された。このような結果から夢は覚醒中につけられた条件反射の再現であり,ノンレム睡眠期の夢は新しい記憶と古い記憶の再生であり,レム睡眠期の夢は古い記憶のみの再生であるといえるだろう。
なお,夢の内容を認識するには人間の言語答申による以外に方法はないが,言語を情報伝達手段としての外言語,思考手段としての内言語に分類すると次の式が成立する。
報告される夢=真実の夢×外言語
真実の夢=夢見像×内言語
たとえば,人間が実際に夢を見た場合に見なかったと言えば,報告される夢はゼロになるが,真実の夢は本人には残って認識されている。イヌ,ネコあるいは人間の乳児は外言語はもたないが,なんらかの思考手段はもっており,夢内容は報告することはできないが,理論的には真実の夢は見ているといえるであろう。
夢と個人差
夢をよく見るという人と,見ないという人がいることは確かである。1959年にグッドイナフF.Goodenoughらが,夢をよく見るという8名と,あまり見ないという8名,計16名の大学生について調べたところ,確かに〈よく見る人〉の群はよく夢を見ているし,〈見ない人〉の群では夢を見る回数が少なかった。さらにそれぞれの平均睡眠時間などについて調べたところ,前者は後者よりも平均睡眠時間が約1時間も多く,床に就いてから入眠する時間も早かった。これらの結果から,〈よく夢を見る人〉は夢の背景になる睡眠が十分にとれて,夢の後で目が覚めやすくなっている人であるといえるだろう。
ところで,昔から色つきの夢を見る人は天才か精神異常者だという俗説がある。最近の調査によれば,画家,デザイナーなど色彩に関係の深い職業についている人に,色つきの夢を見る人が多いと報告されている。さらに松本らが,大学生約1000名を対象に調査したところ,色つきの夢を見る人が理科系の学生では50.7%,文科系学生では46.9%であった。男女別では,女子で62.1%,男子で43.1%が色つきの夢を見たことがあり,理科,文科の比率の差は男女ともほぼ同様であった。
なお,〈夢は五臓の疲れ〉といわれるが,これは〈夢の内容は五臓の故障を代弁することがある〉ということであって,〈夢は五臓が疲れているから見る〉という意味ではない。
→睡眠
執筆者:松本 淳治
夢の解釈
夢は古来,神霊の人間への介入などとして貴ばれてさまざまな解釈が行われ,それには未来を予知したり病気を治癒させる力などが認められていた。〈夢占い〉あるいは〈夢解き〉はさまざまな社会で行われており,特定の職能集団を形成する場合もあり,戦争の開始など国家の重要決定に影響を与えることも少なくなかった。聖書には〈ヤコブの夢〉(《創世記》28:10~22)ほか有名な逸話が伝えられ,古代ギリシアでは医神アスクレピオスの神殿に参籠して夢を授かることで病気を治すということが行われ,日本にも同様な慣習があったことが知られている。夢の詳細な解釈技法は,西洋においては早くも2世紀のアルテミドロスによって集大成されている。しかし,近代以降合理精神が普及するにつれ,一般に夢は日常生活とはほとんど関係のない幻想であり,非合理的で意味のないものとして,長くその意義は少なくとも表面上は忘れられていた。
夢の意味は,1900年に公刊されたS.フロイトの《夢判断》という著書により,心の深層を表すものとして再発見された。フロイトによれば,夢は日常の意識が低下した時に心の深層から現れる無意識的な願望の充足であって,意識が受け入れようとしなかった過去の抑圧された願望内容を暗示するものである。彼は,夢の特徴として,二つ以上の心像が合体してみられる〈圧縮〉や,心理的なものが具体的な心像として視覚化される〈戯曲化〉,あるものが他の形をとって現れる〈置換え〉,さらに内容の婉曲な表現である〈象徴化〉などが行われていることを主張した。夢の内容の研究からフロイトは快楽を追う人間の生理的な本能として性欲を想定し,それが現実と衝突して抑圧されるという考えを理論化し,精神分析運動を展開した。一方,最初はこれに参加していたA.アードラーは,夢の背景にある内容を過去の性的願望の表れとするフロイトの考えに納得せず,むしろ将来への展望を含む権力的願望が,抑圧されているものと考えた。
さらにC.G.ユングは,夢の中に神話的内容を認め,夢にはフロイトのいうようなある個人の過去の抑圧された願望内容をもつものもあり,またアードラーの考えのように,未来志向を秘めているものもあるが,古今東西の人類に普遍的に存在する普遍的無意識から現れるものもあると考えた。いわゆる〈大きな夢〉とユングが呼ぶ神話的な内容をもった夢は,その夢を見た人の私的な過去や未来には関係なく,ある部族,または民族,さらに人類全体とかかわり,多くの人に影響を与えるような内容をもつものもあるとしたのである。そのためにフロイト派では,夢から自由連想法によって過去の抑圧された事実を追究しようとする還元的な方法で夢の意味をつきとめようとするが,ユング派では私的な連想のほかに,ほとんど無限大に拡大しうる拡充法によって,夢のまわりをめぐり,その普遍的な意味を考えようとする方法を採っている。そのほかにもL.ビンスワンガーやM.ボスらによる現存在分析に基づく夢解釈などがあり,多様化している。
→精神分析
執筆者:秋山 さと子
夢と文化
J.G.フレーザーの《金枝篇》や,L.レビ・ブリュールの《未開社会の思惟》にあるように,夢がその文化の中で重要な役割を占める集団,地域は,世界に多くの例をみる。夢の経験は覚醒時の経験とは異なることが多いので,夢の意味をたとえばヒンドゥー教では未来を予言するものとしたり,トロブリアンド島ではシャーマンになる適性を知るものとするなど種々の扱い方がある。しかし,夢にそのような意味を与えているからといって,夢と現実との見さかいがついていないかのように考えるのは誤りである。日本でも,お籠りによって神仏から夢を授かろうとするように,すべての夢に区別なく重要な意味を見いだすわけでは決してない。たとえばトロブリアンド島でも,いわば普通の夢といえるものが大部分であって,それには価値を認めない。しかし子どもが7~8歳の時期にふしぎと感じるような夢を見ると,シャーマンに解釈を受け,その子どもがシャーマンになる適性があることを知ることもある。トロブリアンド島ではまた,お産に先立って特定の先祖が夢に現れ,生まれる子がその再生であることを知らせる場合もある。このように,それぞれの文化の中で夢の扱い方が了解されていて,その点では,夢の意味はその文化の中では合理性をもつものである。心理学的な研究においては,見ていた夢を語る被験者が多いにもかかわらず,その夢にたいした意味を認められない者の方が多い。これについてはすでに述べたように,夢の意味は文化が与えるものであるという点が重要である。夢を見たことだけはおぼえがありながら,その内容はまったく記憶しない癖のあった人が,たとえば夢分析を受けるようになるとよく思い出すようになり,分析家の助力によって夢が意味することを悟るようになるのは経験的によく知られている現象である。その集団の文化が,文化として夢に価値を認めていること,またその中で,夢を見る人がみずからの夢には価値がありうることを信頼していることが,夢の意味づけの要件として認められねばならない。
睡眠と夢について現象を記述する研究はすでに蓄積されてきたが,その本性はなお未知のままである。睡眠状態において見る映像は,覚醒時の抑制から解放された働きによるゆえに特に重要である。なお,夢という言葉は,現実の事態を超えた〈希望〉のことであったり,ある種の欲望を心で追求する白昼夢の内容を指す場合もある。これらも善悪や適不適を別にすれば,覚醒時の抑制から解放されているという点で睡眠中の夢と同様の意味をもちうる。したがって夢は広い意味での想像力でもあり,そこに働く直観や洞察の力を,既成の文化の分析とは別の仕方で了解する方法の探究は,なお未来に残されているといえよう。
執筆者:藤岡 喜愛
夢と日本人
《万葉集》の恋歌には,夢の実在性を信じ,魂の実体性をふまえた歌が多い。〈わが背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢(いめ)に見えつつ寝(い)ねらえずけれ〉,〈旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ吾が片恋の繁ければかも〉。前者は相手が自分のことを思ってくれた結果として自分の夢に現れる場合であり,後者は自分が相手を思うゆえに,相手が自分の夢に現れる例である。いずれも相手の姿(魂)が夢を回路として現れたのであって,夢が現実と拮抗しうるだけの比重をもっていたことをうかがわせる。《古今集》の〈思ひつゝぬればや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを〉(小野小町)になると,現実に対する夢の比重の軽さがすでに見えはじめているが,夢についての基本的な観念は崩れていない。大きく分けると,夢の実在性が信じられていた下限は,平安末期,ないしは鎌倉初期あたりに置くのが妥当であろう。夢が神仏の啓示を伴うものであるのはいうまでもないが,古くは《古事記》の記述が参考になる。崇神天皇の時,疫病が流行して人民が多く死んだので,天皇は神牀(かむとこ)に座して神意を問うたところ,大物主神が夢に現れて,意富多多泥古(おおたたねこ)をして,三輪山にわれを斎き祭らせるならば,疫病はやむと神託を下したので,その通りにしたところ疫病はぴたりとやんだというものである。神牀に座すとは天皇自ら沐浴斎戒して寝ることを意味しており,それは夢(神託)を得るための祭式的行為でもあった。この神牀こそは後に述べる夢殿(八角堂)の原型であったのではないかと思われる。
法隆寺の夢殿については,古い伝承を示すものとして《上宮聖徳太子伝補闕記》や《聖徳太子伝暦》に太子が夢占いをするために夢殿に入ったという話が残されており,夢殿とは夢を見る殿であったことはまちがいない。《今昔物語集》には別の話として,太子はそこに入って宗教的瞑想としての三昧定(さんまいじよう)に入ったとある。夢を見る殿が仏教信仰とともに禅定の場へと転化された姿を見せているが,瞑想が一種の夢想に近い営みであるかぎり,そこには聖なるものと交わる夢という古い回路が生きているのは当然である。女犯と往生との相克に悩んだ親鸞が,叡山を下りて京都六角堂に百日間籠り,夢の中で救世観音の化身である聖徳太子から偈を得て,それが信仰上の回心となったということは,恵信尼の消息文などに詳しいが,六角堂が親鸞にとって一種の夢殿であったともいえる。
平安時代から鎌倉・室町時代にかけて,物詣の三大霊場といえば石山寺と長谷寺,清水寺であった。《梁塵秘抄》に〈観音験を見する寺,清水,石山,長谷の御山〉とあるのは有名で,〈験を見する〉というのは,あらたな霊験(れいげん)として奇跡を表すことのほかに,仏のお告げの験(しるし)として〈夢を見せる〉ことすなわち夢告(むごう)を指している。平安中期,道綱の母によって書かれた《蜻蛉日記》は,夫,藤原兼家との愛に傷つきながらの生きざまを回顧した日記文学であるが,彼女はその傷をいやすために,しばしば石山寺に参籠して夢告にあずかっている。《石山寺縁起》には,この道綱の母の参籠のほかに,《更級日記》の作者,孝標(たかすえ)の娘の参籠の絵がのっており,本堂の外陣(げじん)の一角に設けられた局に籠って,几帳を立ててその中に臥(ふ)している姿が描かれている。これは当時の貴族・受領クラスの女性がいかなる仕方で夢告を得ていたかを知る貴重な記録である。《石山寺縁起》にはこのほか,僧侶や一般庶民が本堂の外陣の板敷に上畳を敷き,そこで眠りながら夢告を待っているようすが描かれている。貴賤上下の人々が観音の夢告に期待したものは,自己の出所進退について,最終的・決定的な答えを啓示としてもらうべく,夢=神意を待つということであり,他方,おのれの運命の吉凶の予兆を夢に問うこと,さらには,現世利益的な,病気平癒や至富への可能性,子授けや結婚への願望の成就の有無について,なんらかの啓示を得ることであった。長谷観音の夢の告げを信じて行動した結果,藁しべ一筋から長者にのし上がった男の話は,夢が至富と結びついた好例であろう(《今昔物語集》巻十六第二十八)。古代においては,物の怪(もののけ)や罪穢がそうであったように,夢もまた一種の実体であり,そこから夢が売買された話なども生まれてくる。《宇治拾遺物語》の〈夢買人ノ事〉や,〈だんぶり長者〉を含む夢買長者と呼ばれる一群の昔話,味噌買長者などがそれである。《蜻蛉日記》や《更級日記》をみると,他者の依頼を受けて夢を見る夢見法師の存在と,その夢解きを専門に行った者(巫覡,陰陽師)の存在が確認されるが,夢が一つの実体(他者性)として考えられていた時代には,こうした職能人が霊場に付属していたとしてもふしぎではない。夢は善くあわせる(解く)とその身が幸せとなり,悪くあわせると凶になると昔の人は信じていた。夢は古代にあっては解かれたとおり実現されるものであったらしい。夢解きがいかに重大な職掌であったかがわかる。
夢が実体として信じられていた時代にも,もちろん無条件には受け入れず,疑念を抱いていた人々も多くいたわけで,疑と信は並行したり錯綜したりして古代から中世へと夢をめぐる観念の変遷史を形づくっていったといえよう。《春日権現験記》には,夢想と託宣の例が数多く描かれているが,巻十六の解脱房貞慶や,巻十七の明恵上人の場合には,春日明神の託宣(夢想)を疑っているのであって,疑われた明神が怒って巫女に憑依し,奇抜な奇跡を演じているところが描かれている。これは一種の信仰の押し売り,誇張とみて差し支えないところかも知れない。室町時代の成立である《太平記》巻三十五の〈北野通夜物語事付青砥左衛門事〉の描く青砥左衛門なる武士においては,夢への不信があからさまに出ており,それは単に不信心という消極的なものではなく,一つの新しい人生態度として自覚されている事実に注目したい。執権相模守が鶴岡八幡宮に通夜した夢に,青砥左衛門を取り立てよという神託がある。執権は早速近江の大庄八ヶ所の補任状を左衛門に与えたのである。ところが左衛門はこれを断り,自己自身の実力によってかち取った所領ならばともかく,夢=神託などによって与えられるなどとはもってのほかと一蹴してしまう。これは,もはや一個人の問題ではなく,夢についての考えが大きな変り目にきていることを示す挿話というべきであろう。夢を乞うために観音霊場へ参籠する信仰習俗が,この頃を転機に,霊場を巡行する巡礼(じゆんれい)へとようすを変えていったのは偶然の一致とは思えない。これも夢についての観念の転換を物語る一こまといえよう。
執筆者:岩崎 武夫
インド哲学と夢
インドのバイシェーシカ学派の古典である《プラシャスタパーダ・バーシャ》によれば,夢は正しくない知識の一つに位置づけられる。また,夢を見る原因としては,過去の強烈な印象,身体を構成する要素の欠陥,不可見力が挙げられる。過去の強烈な印象に基づく夢とは,たとえば,熱愛し,相手を思いつめながら寝た人に現れるものである。身体を構成する要素の欠陥に基づく夢とは,たとえば,胆汁の多すぎる人が見る火や黄金の山などの夢のことである。不可見力に基づく夢とは,過去の行為の潜在力によって見る,瑞兆や不吉な兆しを告げる夢,あるいはいまだ経験したことのない事がらについての夢のことであるという。また,インドの正統派哲学の主流を形成したウパニシャッドやベーダーンタ学派の哲学では,アートマン(自己の本体,自我)のありようを,熟睡状態,夢眠状態,覚醒状態,第四位の4状態に分類し,心理学的な考察を加えている。
執筆者:宮元 啓一