大久保一翁(読み)おおくぼ・いちおう

朝日日本歴史人物事典 「大久保一翁」の解説

大久保一翁

没年:明治21.7.31(1888)
生年:文化14.11.29(1818.1.5)
幕末の幕府閣僚,維新政府の官僚。当初の実名は忠寛。旗本大久保忠向の子に生まれ,天保13(1842)年家督相続。ペリー来航後の安政1(1854)年5月,目付に登用され海防掛を担当,軍制改正用掛,蕃書調所頭取,外国貿易取調掛を兼ねる。駿河町奉行を経て,安政5年5月禁裏付を命ぜられ京に赴任,翌6年京都町奉行となる。安政の大獄で志士捕縛に当たった配下専横に対して粛正を図り,かえって西ノ丸留守居に左遷され,次いで罷免された。文久1(1861)年10月復帰して外国奉行,翌年大目付,次いで側御用取次。このころ大政奉還を前提とした諸侯会議・公議政体論を唱え松平慶永,勝海舟らに影響を与えたものの,幕府有司の反発を受け罷免,同11月差控に処せられる。元治1(1864)年7月勘定奉行に任ぜられたが4日後に免職,翌年2月隠居し一翁と改名。明治1(1868)年鳥羽・伏見の戦で徳川軍が敗北してのちの1月,会計総裁,次いで若年寄として海舟と共に江戸を開城に導き,新当主徳川家達に従い静岡に移住した。明治5年5月,命により東京府知事となり東京会議所の民会組織への改革を図り挫折,以来,教部少輔,元老院議官を歴任したが,新政府とは隔たったところに身を置く。同20年子爵。「なにひとつ世のためはせでまうつしに のこす姿のはずかしきかな」。晩年,写真を撮ったときの感慨である。<著作>『桜園集』<参考文献>松岡英夫『大久保一翁』

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大久保一翁」の解説

大久保一翁 おおくぼ-いちおう

1818*-1888 幕末-明治時代の武士,政治家。
文化14年11月29日生まれ。老中阿部正弘に重用され,大老井伊直弼(なおすけ)にうとまれた。井伊没後,外国奉行,大目付などとなり,松平慶永(よしなが)らと大政奉還を説いた。維新後は東京府知事,元老院議官。明治21年7月31日死去。72歳。江戸出身。名ははじめ忠正,のち忠寛(ただひろ)。通称は金之助,三市郎。号は石泉
格言など】古店はいさぎよく相譲り,万事任せ候事,仁かつ智にて永保の策(松平慶永にあてた手紙)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大久保一翁」の意味・わかりやすい解説

大久保一翁
おおくぼいちおう

大久保忠寛

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大久保一翁」の意味・わかりやすい解説

大久保一翁
おおくぼいちおう

大久保忠寛」のページをご覧ください。

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