出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
狭義では奈良県の一地域,ついで奈良県全部,広義では日本全体を指した語。大和政権の領域拡大とともに日本全体を指すにいたったもの。狭義のヤマトは,《古事記》《日本書紀》に,奈良を過ぎヤマトを過ぎ葛城(かつらぎ)へ,という歌謡があるように,奈良の南方で葛城の東北方の,大和国城下(しきのしも)郡大和(おおやまと)郷,今日の天理市新泉町の大和(おおやまと)神社周辺の地とされる。このヤマトは,葛城と並んで土着の勢力の中心地。やがて畿内豪族の連合政権である朝廷が奈良盆地に拠点を置くと,今日のほぼ奈良全県をヤマトと呼ぶようになった。語義は山に囲まれた処(と)の意かという。筑後国の山門(やまと)などとは,同じトでも当時のトの音が異なり,意味も別である。倭という漢字は,回り遠い,従順,矮小などの意だが,中国で古くから日本を指すのに用いられたので,5世紀の倭の五王のころには〈倭国王〉と自称するようになり,意味の上では本来関係のない倭という字とヤマトという訓とが結びつくこととなった。7世紀から8世紀にかけて,国号には倭の字を避け,〈日本〉という表記を用いるようになり,その訓もヒノモト,オホヤマト,オホヤシマなどとしてヤマトとはいちおう区別し,倭国,大倭国といえばふつうは奈良全県を指す行政区域名となった。律令体制下の1国としての大倭国は,737年(天平9)から747年まで〈大養徳国〉と表記を改め,757年(天平宝字1)ころから大和国と表記されるようになる。しかしその後も引き続き,一般には倭,和の字やヤマトという語は,日本的,日本風を意味するときに使われている。
→倭(わ)
執筆者:青木 和夫
同型艦〈武蔵〉とともに,旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦。第2次世界大戦前に対米英数的劣勢を質的優位で対抗するために,当時の日本海軍が造艦技術の粋を結集して建造を推進した。本艦は1937年呉工厰で起工,41年開戦直後に完成した。常備排水量6万9100トン,全長244m,速力27ノット。主砲は当時の最大口径40cmを超える空前絶後の大口径の46cm砲であり,また備砲と同等の威力の砲弾に対して主要部分を防御するため徹底した集中防御方式を採用した。本艦の建造に際してその建造要目は最高機密とされ,極秘裏に巨艦を建造するためにあらゆる苦心と努力が払われた。大戦中は連合艦隊旗艦として使用されたが,航空主体の近代海戦においてはすでに主砲威力を有効に発揮する機会がなく,戦争末期の45年4月,水上特攻部隊として沖縄に向け出撃し,九州南西方において多数の米艦載機の攻撃を受けて沈没した。なお,2番艦〈武蔵〉は42年三菱長崎造船所で完成,44年10月レイテ沖海戦において沈没,3番艦〈信濃〉は,建造途中で航空母艦に改装され,44年11月横須賀海軍工厰で完成,同月潮岬沖で潜水艦の雷撃により沈没,4番艦は開戦後建造が中止された。
執筆者:本多 一郎
神奈川県中部の市。1954年市制。人口22万8186(2010)。相模原台地の東縁を占め,北東部を境川,西部を引地川が流れる。鎌倉時代は渋谷荘司,室町時代は関東管領家,戦国期には小田原北条氏の支配下にあった。江戸時代は旗本領となり,多くの旗本の知行地とされ,下鶴間は大山街道(現,国道246号線)の宿駅として栄えた。1926年に相模川の砂利輸送のため神中鉄道(現,相模鉄道)が通じ,29年には小田急江ノ島線が通じてその交点の大和駅周辺の都市化が進んだ。41年には隣接する綾瀬市域にまたがって海軍工厰,海軍航空隊が設置され,厚木飛行場が設けられた。飛行場は第2次大戦後アメリカ軍に引き継がれて厚木航空基地となっている。戦後,付近一帯の畑地には灌漑工事が施され,モデル農業地区となっていたが,50年代後半以降工場誘致が相次ぎ,自動車,電気関連などの大工場が立地した。また交通至便なため,京浜地区のベッドタウンとなり,東急田園都市線も小田急江ノ島線の中央林間から東京渋谷へ直通し,東京都心と直結している。
執筆者:伊倉 退蔵
鹿児島県奄美大島中部,東シナ海側に臨む大島郡の村。人口1765(2010)。湯湾岳(694m)を主峰とする急峻な山々が連続し,海岸まで迫る。海岸は複雑なリアス式海岸で平地に乏しく,前面にはサンゴ礁が発達している。海岸線上に点在する11の集落は湾奥の小平地に立地し,耕地はきわめて狭く,零細規模の兼業農家が多い。亜熱帯気候を生かしたスモモ,ポンカン,タンカン,野菜,茶などの栽培が行われる。漁業はホタ,チビキ,タイなどの一本釣りを主とし,モズク,アオサなどの養殖業も伸びている。湯湾岳周辺の亜熱帯林(天)には,アマミノクロウサギ(特天)をはじめとする珍しい動物が多く生息する。恩勝(おんがち)の開饒(ひらとみ)神社は奄美糖業の祖直川智をまつり,大和浜には島内に唯一残る奄美独特の高倉群が見られる。また出入りの多い海岸線は風光に優れ,奄美群島国定公園に属する。
執筆者:赤池 享一
宮城県中部,黒川郡の町。人口2万4894(2010)。鳴瀬川の支流吉田川の流域を占める。西部は泉ヶ岳北東麓の山地・丘陵で,東部の吉田川中流域に平地が広がる。中心集落の吉岡は,仙台の北を守る要地として1616年(元和2)伊達政宗の三男宗時が城下町を開いたことに始まり,23年以降は奥州街道と羽後街道の分岐点の宿場町として発展,5・9の日の六斎市が開かれてにぎわった。米作を中心とする農業が主産業で,シイタケ,ナメコなど林産物の特産もある。東北自動車道大和インターチェンジ付近に大規模な工業団地が造成され,企業が進出している。吉田川支流には南川ダムが1987年完成した。陸上自衛隊駐屯地がある。
執筆者:千葉 立也
→光[市]
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
日本海軍の超戦艦。海軍軍縮条約の制限から離脱すると,日本海軍は従来の条約型戦艦を圧倒する超戦艦の建造を計画し,大和を1941年(昭和16)12月18日呉海軍工廠で竣工させた。備砲46cm9門,排水量6.8万トンで史上世界最大の戦艦。戦争中連合艦隊旗艦となり,マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦にも参加したが,連合軍の沖縄本島来攻時,海上特攻艦隊旗艦として敵上陸点に突入しようとし,45年4月7日九州南方海上でアメリカ空母機に撃沈された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…王権を基礎づける神話として《古事記》神話が編成された時,その冒頭に置かれて神々の世界を統括した宇宙最高神。中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。この神は天の中心にあって不動の北極星を神格化した神である。アメノミナカヌシノカミはこの天皇大帝の観念の借用であり翻訳であった。この神は《古事記》神話のなかで,民間の太陽信仰を統括かつ祖神化した皇室の天照大神(あまてらすおおかみ)によって,尊厳を具体化され,神話の根幹は,天御中主神→天照大神→天神御子→初代天皇という展開をたどって,王権神話を完成する。…
…旧国名。和州。現在の奈良県。
【古代】
畿内に属する大国(《延喜式》)。添上(そふのかみ),添下,平群(へぐり),広瀬,葛上(かつらぎのかみ),葛下,忍海(おしうみ∥おしみ),宇智(うち),吉野,宇陀(うだ),城上(しきのかみ),城下,高市(たけち),十市(とおち),山辺(やまのべ)の15郡に分かれていた。大和国を地形的にみると,奈良盆地(国中),大和高原(東山中),宇陀,吉野の4地域に分かれる。奈良盆地には13郡が設置され,添上郡と山辺郡の東半部が大和高原に及んでいた。…
…日清・日露の海戦で初めてこの艦砲の威力が実証され,イギリスは12インチ砲を主砲とする新鋭戦艦ドレッドノートを建造し大艦巨砲時代の幕を開いた。ロンドン軍縮会議で艦砲は口径14インチ以下と定められたが,期限切れ後に日本は世界最大の46cm砲を装備した戦艦大和,武蔵を建造した。この砲の最大射距離は46kmで弾丸1発の重量は1.5tであった。…
※「大和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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