大塚家具(読み)おおつかかぐ

知恵蔵 「大塚家具」の解説

大塚家具

IDC大塚家具の商標で知られる家具販売会社。正式名称は株式会社大塚家具。1969年に埼玉県春日部市で大塚勝久(会長)が創業した「株式会社大塚家具センター」が出発点。現在、関東・東海・関西などに16店舗を展開し、近年の売上高は500億円台半ばを推移する。近年では、創業者とその娘の大塚久美子社長との間で経営方針を巡る対立が深まり、お家騒動などと取りざたされている。
大塚勝久は桐だんす職人の子として生まれ、父の経営するたんす店から独立して同社設立した。同社社長の久美子は長女専務の勝之は長男である。それまでの家具店が、嫁入り道具中心の伝統的な販売方法であったのに対して、大塚家具は積極的な広告宣伝や店舗展開により業容を拡大した。93年には全店舗で会員制を導入し、店員が顧客に付き添って一括購入を促すという販売方法で成長。業界最大手4社の中で、ニトリや良品計画にははるかに及ばないが、島忠をしのぐ3位の売り上げを誇る。生活スタイルの欧米化などに伴い、良質な欧州家具なども取りそろえて、高級感を演出することで「結婚後のまとめ買い」需要に応えた。
2000年代に入るとこうした需要が陰りを見せると共に、ニトリやイケアなどの廉価品を扱う大型販売店が台頭し始め同社の業績低迷した。更に07年にはインサイダー取引事件なども起こした。それらの責任を取る形で09年に勝久が社長から退き、富士銀行(現みずほ銀行)出身でコンサルティング会社を経営していた久美子が代表取締役に就任した。久美子社長は「入りやすく、見やすい、気楽に入れる店作り」や、ホテルなどの法人向け販売に力を入れて転換を図った。しかし、勝久会長はこれをよしとせず、久美子は14年に社長を解任された。社長兼任に返り咲いた勝久会長は、会員制の復活や宣伝広告など「10年前に戻れ」をスローガンに掲げたものの経営は赤字転落。同社は創業家一族の持ち株が3割を超えるといわれる同族会社ながら、株式はジャスダックで店頭公開されており、内外の機関投資家なども相当数の株式を所有している。こうしたことから、15年1月には久美子が再び社長に就任した。しかし、親子の相克はやまず、互いにガバナンスを巡って対立を深めていた。こうした中で開かれた3月27日株主総会では久美子社長の会社提案が可決され、「お家騒動」は終わりを迎えた(15年4月時点)。なお、オロナミンCで知られる大塚製薬グループ会社に「大塚家具製造販売株式会社」があるが、同社とは無関係である。

(金谷俊秀 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

知恵蔵mini 「大塚家具」の解説

大塚家具

家具販売会社。正式名称は「株式会社大塚家具」、商標は「IDC大塚家具」。本社所在地は東京都江東区有明。1969年に株式会社大塚家具センターとして創業し、80年、ジャスダック市場に上場。高級家具・輸入家具を中心とした会員制の対面販売で成長を遂げ、全国に店舗を拡大した。しかし、2000年代以降は高級家具の需要減、低価格路線の競合他社の台頭などにより業績が低迷。創業者とその娘の現社長との間で経営方針を巡る対立が深まり、企業イメージも悪化した。19年、家電量販店・株式会社ヤマダ電機の子会社となり、経営の立て直しを図ることが発表された。

(2019-12-17)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

日本の企業がわかる事典2014-2015 「大塚家具」の解説

大塚家具

正式社名「株式会社大塚家具」。英文社名「OTSUKA KAGU, LTD.」。小売業。昭和44年(1969)「株式会社大塚家具センター」設立。同53年(1978)現在の社名に変更。本社は東京都江東区有明。家具販売会社。中高級品・輸入家具に実績。会員価格販売や大型店舗での対面販売が特徴。JASDAQ上場。証券コード8186。

出典 講談社日本の企業がわかる事典2014-2015について 情報

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