大宮(埼玉県さいたま市)(読み)おおみや

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

大宮(埼玉県さいたま市)
おおみや

埼玉県南東部にあった旧市名(大宮市)。大宮台地中央部を占めた。現在の、さいたま市北西部(西区、北区、大宮区、見沼区と中央区の一部)にあたる(大宮区の大原6、7丁目は旧浦和市域)。1940年(昭和15)大宮町と日進(にっしん)、三橋(みはし)、大砂土(おおさと)、宮原の4村が合併して市制施行、大宮市が成立。1955年(昭和30)指扇(さしおうぎ)、馬宮(まみや)、植水(うえみず)、片柳(かたやなぎ)、七里(ななさと)、春岡(はるおか)の6村を編入、2001年(平成13)南に隣接する与野市(よのし)、浦和市と合併、さいたま市となった。大宮の地名は武蔵(むさし)国一宮(いちのみや)の氷川神社(ひかわじんじゃ)があることによる。旧大宮市地域の中心部は大宮台地であるが、東部は綾瀬(あやせ)川、芝川、西部は荒川の沖積地に広がる。JR東北・上越秋田・山形・北陸新幹線、東北本線、高崎線、川越線、埼京線、東武鉄道野田線などの鉄道が会合するほか、新幹線の高架に沿って埼玉新都市交通(ニューシャトル)が通じる。また、国道17号と16号が走り、首都高速埼玉新都心線の新都心西出入口がある。

 氷川神社の門前町として発達したが、江戸時代は中山道(なかせんどう)の宿場町であるとともに、近隣農村の交易の場として栄え、5、10の日には市(いち)が立った。明治以後、日本鉄道会社の大宮工場が建設され、鉄道の町として発達した。工業は、明治期から大正期にかけては生糸・鉄道関連産業が中心であったが、第二次世界大戦中に航空機、兵器関係の工場ができ、これをもとに戦後重化学工業化が進んだ。とくに、1963年の吉野原工業団地造成後は、化学、精密機械、電気機械工業が盛んで、県内有数の工業生産額を誇る。東京都心部から30キロメートル圏にあるうえ、交通の便がよいため、東京のベッドタウンとして多数の団地や住宅がつくられ、金融機関、デパートも進出して、県内商業の中心地となった。旧国鉄大宮操車場は1984年(昭和59)廃止され、跡地を中心とする「さいたま新都心」開発が計画され、2000年にまち開きした。業務用高層ビルが建ち並び、国の機関が移転、JRさいたま新都心駅も開業した。なお、新都心地区は、2001年の合併後はさいたま市中央区に属している。

 氷川神社付近一帯は県立大宮公園で、野球場サッカー場博物館などがある。大宮公園北方にある「盆栽村」には十数軒の盆栽園があり、国内の愛好者のみでなく外国人の訪れも多い。近くに近代漫画の草分け北沢楽天(きたざわらくてん)を記念したさいたま市立漫画会館(旧、大宮市立漫画会館)がある。また、2007年に鉄道博物館がJR東日本大宮総合車両センターに隣接して開館した。年中行事では氷川神社の大湯祭(だいとうさい)(12月10日)が有名。

[中山正民]

『『大宮市史』全13冊(1968~1995・大宮市)』


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