20世紀日本人名事典 「大山 捨松」の解説
大山 捨松
オオヤマ ステマツ
明治・大正期の社会奉仕家 陸軍元帥大山巌の妻。
- 生年
- 安政7年2月24日(1860年)
- 没年
- 大正8(1919)年2月18日
- 出生地
- 陸奥国若松(福島県会津若松市)
- 旧姓(旧名)
- 山川 捨松(ヤマカワ ステマツ)
- 別名
- 幼名=咲子
- 学歴〔年〕
- バッサーカレッジ〔明治15年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 勲四等宝冠章
- 経歴
- 会津藩家老山川尚江を父に生まれる。明治4年岩倉遣外使節団に加わり、日本初の女子留学生として津田梅子らとともに渡米。この時“捨松”に改名。ニューヘブンのヒルハウス高校、バッサーカレッジなどに学び、15年帰国。16年陸軍卿大山巌と結婚。17年華族女学校設立準備委員、21年には宮内省の依頼で洋化顧問係となる。32年津田梅子が女子英学塾(津田塾大学)を設立するに際して顧問となり、以後同塾の育成に力を注いだ。また日赤篤志看護婦会、愛国婦人会、日赤理事など多くの慈善・奉仕活動にも積極的に励んだ。鹿鳴館時代を象徴する存在であり、“鹿鳴館の花”と謳われた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報