大槻 如電(読み)オオツキ ジョデン

20世紀日本人名事典 「大槻 如電」の解説

大槻 如電
オオツキ ジョデン

明治・大正期の学者,考証家



生年
弘化2年8月17日(1845年)

没年
昭和6(1931)年1月12日

出生地
江戸

出身地
宮城県仙台

本名
大槻 清修

別名
通称=大槻 修二(オオツキ シュウジ),修次,字=念卿,別号=玩古道人,活魚人,天笑子

経歴
家学をうけ、林家、仙台藩校養賢堂に学び、養賢堂句読師を経て、慶応2年仙台藩砲術指南役となる。明治維新後、海軍兵学寮皇漢学教官を経て、文部省に奉職、明治7年退官。その間5年から7年にかけて文部省の「新撰字書」の編集たずさわる。8年家督を弟・文彦に譲り、以後在野の学者として和漢洋の学問を体系化することに没頭し、10年私家版「洋学年表」を刊行。また文芸・邦楽舞踊などにも通じ博学多才であった。他の著書に「日本地誌要略」「小学日本文典」「国史要略」「日本教育史」「舞楽図説」「俗曲の由来」「駅路通」などがあり、校閲に林子平著「六無斎全書」、戯作に「妹背山錦絵姿」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「大槻 如電」の解説

大槻 如電 (おおつき じょでん)

生年月日:1845年8月17日
明治時代;大正時代蘭学者。文部省字書取調掛
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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