大槻文彦(読み)おおつきふみひこ

精選版 日本国語大辞典 「大槻文彦」の意味・読み・例文・類語

おおつき‐ふみひこ【大槻文彦】

国語学者。号復軒。江戸生まれ。磐渓(ばんけい)の子。文部省に入り、辞書のあるべき姿を明確に自覚した上で編纂された、近代的な国語辞典最初である「言海」を刊行、没後、増補改訂版にあたる「大言海」(全四巻)が完成。また「広日本文典」「口語法」「口語法別記」などを著わし、国文法研究に貢献した。弘化四~昭和三年(一八四七‐一九二八

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デジタル大辞泉 「大槻文彦」の意味・読み・例文・類語

おおつき‐ふみひこ〔おほつき‐〕【大槻文彦】

[1847~1928]国語学者。江戸の生まれ。号は復軒。磐渓の三男。辞典の編修、文法書の著述、国字問題への尽力など多くの業績がある。編著「言海」「大言海」「広日本文典」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大槻文彦」の意味・わかりやすい解説

大槻文彦
おおつきふみひこ
(1847―1928)

国語学者。儒者大槻磐渓(ばんけい)の三男として江戸に生まれる。如電(じょでん)の弟。開成所、仙台藩養賢堂、三叉(さんしゃ)学舎などに学んだ。1872年(明治5)文部省八等出仕、英和辞書の編集にあたり、その後宮城師範学校校長、文部省御用掛などを歴任し、そのほか国語調査委員会委員などをも務めた。1891年刊行完成の『言海』は、ウェブスターヘボンの辞書を参照し、各語の発音、語の類別や語源、語釈、出典にわたって記したもので、国語の普通辞書として広く用いられた(のちに増補されて『大言海』になる)。また、その巻頭に付した「語法指南」に改訂を加えて1897年『広日本文典』『広日本別記』を刊行したが、これは和洋の折衷文典として、文法学の基礎をなし、学校文法にも広く影響を与えた。このほか、国語調査委員会の『口語法』『口語法別記』の編集にもかかわるなど、口語研究にも新しい面を開いた。

[古田東朔 2018年10月19日]

『『国語と国文学』大槻大矢両博士記念(1928年7月号・至文堂)』『古田東朔「大槻文彦伝」(『文法』1969年5月号~1971年3月号所収・明治書院)』


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改訂新版 世界大百科事典 「大槻文彦」の意味・わかりやすい解説

大槻文彦 (おおつきふみひこ)
生没年:1847-1928(弘化4-昭和3)

国語学者。本名は清復,通称は復三郎,復軒と号した。儒者磐渓の子,如電の弟。江戸に生まれ,若く漢学・洋学を修め,のち国語の研究に進んだ。1899年文学博士,1911年帝国学士院会員。その業績は,辞典の編修,文典の著述,および国字問題への尽力において著しい。《言海》(1889-91)は,初め文部省の命で10年を費やして脱稿したものであるが,画期的な国語辞書として,後年数百版を重ねた。晩年十数年はその増訂に専心したが,その《大言海》は没後(1937)に至って完成した。《言海》の巻頭には,文法会を起こして同志と討究した成果たる〈語法指南〉が掲げられている。これに改訂を加えたものが《広日本文典》とその《別記》(1897)で,翻訳文法の臭みはあるが,後の国文法研究ことに教科文法には久しく権威をもった。1902年国語調査委員会の主査委員として口語文法の調査を担当した成果は,同委員会の《口語法》(1916)となった。翌年の《口語法別記》には口語の源流と分布についての考察がなされ,長く尊重されてきた。国字問題に関しては,〈かなのくわい〉(1883)発起人一人としてさかんに仮名説に論陣を張り,臨時仮名遣調査委員会(1908)では表音かなづかいを主張した。《復軒雑纂》(1902)に各方面にわたっての論文を収めるほか,地誌・史伝にも多くの著述がある。
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百科事典マイペディア 「大槻文彦」の意味・わかりやすい解説

大槻文彦【おおつきふみひこ】

国語学者。本名は清復,号は復軒。江戸生れ。蘭学者大槻玄沢の孫,儒者大槻磐渓の子,如電の弟。国語辞典,日本文典の編集および,国字問題に尽力。主著に《言海》《大言海》《広日本文典》《口語法別記》等がある。
→関連項目大槻如電大槻磐渓国語辞典(日本)万国新聞紙

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大槻文彦」の意味・わかりやすい解説

大槻文彦
おおつきふみひこ

[生]弘化4(1847).11.15. 江戸木挽町
[没]1928.2.17. 東京
国語学者。文部省国語調査委員会委員,臨時仮名遣調査委員会委員などを歴任。 1899年文学博士。 1911年帝国学士院会員となる。『広日本文典』 (1897) およびその解説である『広日本文典別記』 (同) は,江戸時代以来の国学の流れと西洋文典の折衷で注目される。「弖爾乎波 (てにをは) 」と「法」「相」「八品詞」などの用語にその特徴が表われている。『言海 (げんかい,ことばのうみ) 』 (4冊,89~91,再版で1冊本,のち改訂増補されて『大言海』〈4冊,1932~35,索引,37〉) は語彙を多く集め,五十音順に並べるなど,のちの国語辞典の依拠するところとなった。国語調査委員会から出したものに『口語法』 (16) とその調査に対する解説書『口語法別記』 (17) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大槻文彦」の解説

大槻文彦 おおつき-ふみひこ

1847-1928 明治-大正時代の国語学者。
弘化(こうか)4年11月15日生まれ。大槻磐渓の3男。大槻如電(じょでん)の弟。開成所,大学南校でまなび,明治5年文部省にはいる。宮城師範校長,国語調査委員会主査委員などを歴任。国語辞書「言海」(のち増補し「大言海」)を編集し,24年自費刊行した。学士院会員。昭和3年2月17日死去。82歳。江戸出身。本名は清復。通称は復三郎。号は復軒。著作に「広日本文典」など。
【格言など】辞書は文教のもといたること,論ずるまでもなし

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大槻文彦」の解説

大槻文彦
おおつきふみひこ

1847.11.15~1928.2.17

明治・大正期の国語学者。名は清復。号は復軒。大槻磐渓の三男。兄は如電。江戸生れ。儒学・英学・数学を学び,幕末には国事に奔走。1872年(明治5)文部省出仕,75年宮城師範学校校長から本省に戻って国語辞書編纂に着手し,91年に「言海」刊行。さらにその補訂に取り組み,没後に「大言海」が完成。学士院会員。仮名文字運動・言文一致運動にも熱心であった。

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世界大百科事典(旧版)内の大槻文彦の言及

【沖縄学】より


[歴史]
 1879年の廃藩置県(琉球処分)以後の研究を指す。その以前に大槻文彦《琉球新誌》(1873)や伊地知貞馨《沖縄志》(1877)などが〈処分〉へ向けた政治的な含みをもってあらわれるが,それらは研究前史に位置づけられよう。初期段階では学術的に未開拓の沖縄に魅せられた研究者の先駆的な業績がある。…

【言海】より

大槻文彦の著した国語辞典。1875年(明治8)2月起草,84年脱稿,これを4分冊にして89年5月に第1版を刊行,91年4月に完結したもの。…

【口語法】より

…国語調査委員会(1902年文部省に設置)編纂の文法書。大槻文彦が立案起草し,委員会の審議および上田万年以下の特別委員の整理を経て,1907年に成り16年に公刊された。これは1900年前後の言文一致運動および03年以後の口語法に関する全国的調査(1906年《口語法調査報告書》,1907年《口語法分布図》が刊行された)と相応ずるものであって,全国共通語としての口語の文法を確立する試みの一つであった。…

【広日本文典】より

大槻文彦著の日本文法書。1897年(明治30)刊。…

【大言海】より

…1932‐37年刊。大槻文彦(おおつきふみひこ)著。同じ著者の《言海》を増補改訂したもの。…

※「大槻文彦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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