20世紀日本人名事典 「大江 季雄」の解説
大江 季雄
オオエ スエオ
昭和期の棒高跳び選手
- 生年
- 大正3(1914)年8月2日
- 没年
- 昭和16(1941)年12月24日
- 出生地
- 京都府舞鶴市
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学〔昭和13年〕卒
- 経歴
- 旧制舞鶴中(現・西舞鶴高)から慶応大学へ進学。子どもの頃から棒高跳びに打ち込み、昭和11年ベルリン五輪に出場。決勝戦では金メダルを獲得した米国のメドウス、日本の西田修平らと共に6人で争い、結果、大江と西田が同記録の銀メダルに。2人の話し合いで、年長者の西田が銀メダル、大江が銅メダルとなったが、銀、銅メダルを半分ずつ割って持ち合うことになった。当時“友情のメダル”は全世界の話題を呼んだ。舞鶴市の市政記念館に“友情のメダル”のレプリカが展示されている。16年陸軍少将として応召、フィリピン上陸作戦に参加し、12月戦死した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報