大津町(読み)おおつまち

日本歴史地名大系 「大津町」の解説

大津町
おおつまち

中世都市大津が慶長五年(一六〇〇)の大津籠城戦で焼野原となったあと、徳川家康の主導で再編された江戸時代の商業都市。湖上水運による物資の集散地として大津浦が発展し、京都に最も近い東海道の宿駅として大津宿が置かれ、また近江国と畿内の幕府領を管轄した大津代官所が所在した。さらに東方に建設された膳所ぜぜ城および膳所城下が政治都市としての性格が強かったため、その商業面を補う役割をも有した。

〔成立前後と景観〕

慶長五年の焼失以前にも町並を形成していたことは、文禄五年(一五九六)一〇月以前、松本新まつもとしん町とともに「大津町屋敷」が検地を受け、大津宰相京極高次に「御免除として遣」わすこととあることから知られる(同年一〇月一五日「長束正家・前田玄以連署書状写」遠藤文書)。ただし文禄五年一〇月の山上村検地帳写(山上町共有文書)には大津町内一一町からの入作がみられ、北国ほつこく(高七八石余)北保きたほ(高三六石余)など高二〇七石余と、山上やまがみ村の総高の二五パーセントに及ぶ。江戸時代の大津町からみれば、当時は農村的な側面を残していたのであろう。この町が京極高次の籠城戦で焼かれ、「慶長年中卜斎記」慶長五年九月二一日条に「大津町中焼き払い、小屋もなし」と記される状態になる。同七年大津町の地子が免除となり(京都御役所向大概覚書)、復興が推進される。町割の具体的な過程はつまびらかではないが、「大津珍重記」が同五年以後坂本から移転した町屋として坂本町・小唐崎こがらさき町・やなぎ町・太間たいま町・石川いしかわ町をあげるので、これらは復興に伴って大津に移ったのかもしれない。しかし天正一四年(一五八六)頃から始まる大津築城に伴い、坂本の町人が移転したともいうので(大津町覚)、断定はできない。大津祭の曳山が造立された年代を鍛冶屋かじや町が寛永一二年(一六三五)南保みなみほ町・堅田町が同一四年、丸屋まるや町が明暦二年(一六五六)塩屋しおや町が万治元年(一六五八)と伝えるところから(永代伝記)、これら各町はすでに造立と維持の費用を出せるほどに安定した町であったといえる。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)には三八町の町名がみえるだけだが、元禄期(一六八八―一七〇四)成立の「淡海録」所載の大津町絵図に町数一〇〇町・家数三千一四軒とあり、これまでに大津百町といわれる町の成立をみていたようである。

寛保二年町絵図で鳥瞰すると、東進してきた東海道がやがて琵琶湖に向かって北進し、ふだつじきよう町通と交差する。

大津町
おおづまち

[現在地名]大津町大津

熊本札の辻から五里、豊後街道の宿町。元禄国絵図に「大津村之内大津町」とみえる。大津に町立てが行われたのは、寛永一五年(一六三八)頃とみられている。「制度考」の国中在町地子免許の項に「大津町寛永十五年免許」とあり、豊後街道の宿町として栄えた。なか町には藩主が宿泊する御茶屋と家臣が宿泊する御客屋が設けられ、とう町には駅馬四〇頭をもつ御陣馬所が設けられた。鶴口つるぐちには大津手永会所や郡代詰所、高札場、上大津かみおおづには阿蘇郡の年貢米を収納する御倉が設けられ、政治・経済的機能をも有する在町として発展した。「国志草稿」に「此町ニ苦竹出町、塔迫町、塘町、下町、中町、新町等ノ町アリ、西ノ方苦竹出町構口ヨリ上町新町構口迄廿五丁五十間、竈数二百三十九アリ」とある。

大津町
おおづまち

面積:九九・〇六平方キロ

菊池郡東部に位置する。東は阿蘇郡長陽ちようよう村・阿蘇町、北は旭志きよくし村、西は旭志村・合志こうし町・菊陽きくよう町、南は阿蘇郡西原にしはら村に接する。町域の南部を東西に白川が貫流する。東半部はくら(一一一八・六メートル)矢護やご(約九四〇メートル)の南西麓と瀬田裏せたうらの山地および原野、東南端には北向きたむき(七九七メートル)の自然林があり、阿蘇北向谷原始林として国指定天然記念物。西半部は合志台地と白川段丘の平野部からなり、白川南方に広がる白水はくすい台地の一部を含む。

大津町
おおつまち

[現在地名]出雲市大津町

ふる町の成立年は不明だが、天正元年(一五七三)の洪水で大被害を受けたと伝え、同一八年の石塚家文書に「市場の下」「市場荒神」がみえる。大津村山廻の七面やままわりのしちめん山の麓から寛永一三年(一六三六)石塚いしづか村の一画に移った(本森広家文書・本田家文書)。これは前年から始まった若狭わかさ土手築造のために赤土を採る必要があり、また新設の土手や道路を管理させるねらいであった。

大津町
おおつまち

[現在地名]大津市まる内町うちちよう

魚屋うおや町の南にある両側町。膳所藩明細帳によればした村域に町割されていたようだが、町域は膳所村に及んでいたらしい。慶長六年(一六〇一)の町割に際して廃城となった大津城下の商人が移住したという。元禄一五年(一七〇二)の膳所総絵図(中村家蔵)に町名がみえ、東海道筋の町並は七〇間余、家数三七。寛政一二年(一八〇〇)当時は町並七八間余(法伝寺文書)。中村家蔵膳所藩明細帳では家数三五・人数七七。

大津町
おおつまち

[現在地名]小浜市清滝きよたき

小浜城の南方、北流するみなみ川の左岸にあり、南川東岸の竹原たわら侍屋敷に通じる百間ひやつけん(土橋)西側に、南北に延びる両側町。寛永八年(一六三一)京極氏書上の寛永夫代帳(「拾椎雑話」所収)に町名がみえる。文政七年(一八二四)七月の小浜城下図(酒井家文書)によれば、当町北側から松本まつもと町東側の南川沿いに牢舎と米手形役所が設置され、両所は明治一四年(一八八一)小浜警察署となった。

大津町
おおつまち

[現在地名]中区丸の内まるのうち三丁目

伊勢いせ町筋東の大津町筋の北端に位置する。きよう町筋とすぎの町筋との間をいう。大津(現滋賀県大津市)の人四郎左衛門が清須きよすに住居をかまえたのでこの町名が生じた。慶長年中(一五九六―一六一五)名古屋移転後も旧号を変えなかった(尾張志)。井戸水はよく、土は赤土・黒土・真土・砂(市譜)

大津町
おおつまち

[現在地名]東区徳井とくい町二丁目

南新みなみしん町三丁目の南にある竪町で、内骨屋うちほねや町から東に延びる両側町。山城伏見ふしみから移ってきた町で(初発言上候帳面写)、町名は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一二・役数一四役で、うち年寄分一役が無役。年寄は木津屋九兵衛。安政三年(一八五六)の水帳(大阪市立中央図書館蔵)では屋敷数一三・役数一四役で、うち年寄分一役が無役。

大津町
おおつまち

ほり川の西、毛利橋もうりばし通から北へ二丁目の町。南接する塩屋しおや町は、京橋塩屋町と町名が紛らわしいということで、昭和四年(一九二九)問屋町といやまちと改称。

「豊公伏見城ノ図」によると、大津町の地は高木大津の屋敷で、塩屋町の地は京極丹後守屋敷。町名の由来は、高木大津屋敷の所在によるものであろう。江戸時代に入ると、この一帯はほり川を上下する舟運の荷揚げ場所として発達していったようで、問屋町通と俗称されていたと伝える(伏見鑑)。寛文一〇年(一六七〇)山城国伏見街衢並近郊図には大津町南半部に松平右衛門佐の屋敷地の記載があり、江戸時代前期には、一部武家屋敷地が残っていたことが知られる。

大津町
おおつちよう

下京区間之町通五条下ル

南北に通る間之町あいのまち通を挟む両側町。北側は五条通に面する。

平安京の条坊では左京六条四坊二保三町南側にあたり、平安中期以降は楊梅東洞院大路の東の地。平安時代には六条内裏の地であった(拾芥抄)

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「大津町」とあり、以後変化はない。町名由来は不詳。

大津町
おおつちよう

中京区間之町通丸太町下ル

南北に通る間之町あいのまち通の両側町で、北は丸太町まるたまち(旧春日小路)、南は竹屋町たけやまち(旧大炊御門大路)

平安京の条坊では左京二条四坊一保二町の中央。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「大津町」、寛永一八年以前平安城町並図、承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図などは「大津や町」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大津町」の意味・わかりやすい解説

大津〔町〕
おおづ

熊本県中部,阿蘇外輪山の西麓台地上にある町。 1889年町制。 1956年陣内 (じんない) ,平真城 (ひらまき) の2村,瀬田,護川 (もりかわ) ,錦野 (にしきの) 各村の一部と合体。中心市街地の大津は白川中流の右岸段丘上に位置し,江戸時代には豊後街道の宿場町として発達。参勤交代時の宿泊地で,古い家並みが残存。 1970年自動車メーカーの工場が台地に進出するとともに,熊本市の都市化の影響を受け,従来の畑作 (ダイズ,雑穀など) ,稲作に加えて,果樹 (ブドウ,クリ) ,植木栽培が行われる。工業には製粉,製油のほか製材業などがある。南東部に天然記念物の阿蘇北向谷 (きたむきだに) 原生林があり,付近は阿蘇くじゅう国立公園に属する。 JR豊肥本線,国道 57号線が通じる。面積 99.10km2(境界未定)。人口 3万5187(2020)。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android