大洲城(読み)おおずじょう

精選版 日本国語大辞典 「大洲城」の意味・読み・例文・類語

おおず‐じょう おほずジャウ【大洲城】

愛媛県大洲市にあった平山城。元弘元年(一三三一)宇都宮豊房の築城といわれる。戸田藤堂脇坂氏を経て元和三年(一六一七)以後加藤氏六万石の居城高欄・苧綿(おわた)・南隅・台所の四櫓(やぐら)現存し、いずれも国重要文化財。地蔵岳城。比志城。

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デジタル大辞泉 「大洲城」の意味・読み・例文・類語

おおず‐じょう〔おほずジヤウ〕【大洲城】

大洲市にある旧大洲藩の城。元弘元年(1331)、宇都宮豊房の創築という。慶長年間(1596~1615)藤堂高虎脇坂安治らが修築。元和3年(1617)以降、加藤氏が在城本丸の台所櫓・高欄櫓、二の丸の苧綿櫓おわたやぐら、三の丸の隅櫓が現存。地蔵岳城。比志の城。

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日本の城がわかる事典 「大洲城」の解説

おおずじょう【大洲城】

愛媛県大洲(おおず)市大洲にある平山城(ひらやまじろ)。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。肱川(ひじかわ)の流れを利用して内堀外堀を設け、肱川に面した地蔵ヶ嶽(じぞうがだけ)(標高20m)に築かれた。1331年(元徳3)、守護の宇都宮豊房が築城したとされる。長く宇都宮氏の居城だったが、豊臣秀吉の四国制覇により、小早川隆景が入封し、支城とした。その後、戸田勝隆が入城し、つづいて入封した藤堂高虎と脇坂安治の時代に、近世の城郭として整備された。脇坂氏の代には、地蔵ヶ嶽山頂に本丸を構えて天守建立、また地名を大津から大洲に改めた。1617年(元和3)加藤氏が大洲藩主となり、以後12代続いた。多くの櫓(やぐら)や門は、明治時代に取り壊されたが、住民の保存活動により天守と櫓の一部は残された。しかし、天守は老朽化などの理由で、1888年(明治21)に解体された。現在、台所櫓(だいどころやぐら)や南隅櫓など4棟の櫓が現存するほか、2004年(平成16)に四重4階の天守が復元された。JR予讃本線伊予大洲駅から徒歩20分。◇地蔵ヶ嶽城(じぞうがだけじょう)、比志城(ひじじょう)、大津城(おおずじょう)ともいう。

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事典・日本の観光資源 「大洲城」の解説

大洲城

(愛媛県大洲市)
日本100名城指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の大洲城の言及

【大洲[市]】より

…城下町の形成される以前は道路交通と河川交通の交差点に発達した集落であった。1617年(元和3)以来の加藤氏6万石の城下町で,大洲城は肱川南岸の要害の地にあり,城下町はその西・南部に展開していた。大正年間以降の市街地は肱川の北岸肱北(こうほく)地区に展開したが,これは1913年肱川架橋が完成したことや,18年大洲~長浜間に開通した愛媛鉄道の駅が肱北の若宮地区に設置されたことによる。…

※「大洲城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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