大谷翔平(読み)オオタニショウヘイ

デジタル大辞泉 「大谷翔平」の意味・読み・例文・類語

おおたに‐しょうへい〔おほたにシヤウヘイ〕【大谷翔平】

[1994~ ]プロ野球選手。岩手の生まれ。平成24年(2012)日本ハム入団投手打者両方をこなす「二刀流」として活躍し、平成28年(2016)には投手と指名打者の両部門でベストナインに選出された。平成30年(2018)米国メジャーリーグに移籍すると投打に渡って活躍、アメリカンリーグの新人王を獲得した。

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知恵蔵 「大谷翔平」の解説

大谷翔平

日本のプロ野球選手。1994年7月5日生まれ、岩手県水沢市(現:奥州市)出身。北海道日本ハムファイターズに所属し、近代野球では極めて珍しい投手、打者のいわゆる「二刀流」で活躍している。身長193センチメートル、体重90キログラム。
小学校3年時に野球を始めた水沢リトルリーグ、中学校時代に所属した一関リトルシニアで、共に全国大会に出場。菊池雄星(西武)に憧れ、彼の出身校である花巻東高校へ進学した。3年生の時に第84回選抜高等学校野球大会で甲子園に出場し、初戦の大阪桐蔭高校戦で藤浪晋太郎(阪神)から本塁打を放つも、11四死球で9失点と崩れ、敗れた。3年夏の岩手大会の準決勝・一関学院戦ではアマチュア野球史上初となる最速160キロを記録したが、決勝の盛岡大附高校戦では左翼ポールの外側を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われるなど5失点、甲子園出場はならなかった。
2012年のドラフト会議前にはアメリカのメジャーリーグの球団からも注目され、本人はメジャーに挑戦したい気持ちを表明していたが、日本ハムが単独1位指名。ダルビッシュ有(テキサスレンジャーズ)が着用していた背番号「11」、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示され、契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)で仮契約、入団会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負する異例のエキシビションも行われた。
1年目から外野手でオールスターに選ばれるなど注目度は高かったが、投手としては3勝、打者としては打率2割3分8厘、3本塁打、20打点の成績に終わった。二刀流に対する懐疑的な声が野球評論家たちの間で根強くあったが、プロ2年目を迎えると、投打に突出した才能を発揮。オールスター戦には、関根潤三以来2人目となる投手と野手の両方で選出され、第2戦(甲子園)に先発登板すると、オールスターゲーム史上最速の162キロを計測した。
9月14日現在、先発投手として二つの完封を含む11勝(4敗)を挙げ、打者としても、ホームラン10本を記録、日本のプロ野球史上初の同一シーズンでの2けた本塁打と2けた勝利を達成。日本球界では前例がなく、メジャーリーグでも、ベーブ・ルース(当時レッドソックス)が1918年に13勝、11本塁打をマークして以来、実に96年ぶりの偉業として話題を集めた。

(城島充 フリーライター/2014年)

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知恵蔵mini 「大谷翔平」の解説

大谷翔平

プロ野球選手(投手・外野手)。1994年7月5日、岩手県生まれ。身長193センチ、86キロ。右投げ左打ち。小学校2年生で野球を始め、水沢南中学校時代は一関リトルシニアに所属。2010年に花巻東高校へ進学し、11年夏の甲子園、12春のセンバツに出場。同年夏の甲子園出場は逃したが、岩手大会準決勝の一関学院戦で、高校生最速の160キロを記録した。卒業後はメジャーリーグ挑戦を表明していたが、12年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズの1位指名を受け、同球団に入団。13年、投手と野手を兼任し、打者としても打席に立つ二刀流でデビューした。

(2013-6-20)

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