大陽義冲(読み)たいよう・ぎちゅう

朝日日本歴史人物事典 「大陽義冲」の解説

大陽義冲

没年:延文1/正平11.1.11(1356.2.12)
生年弘安9(1286)
鎌倉末期・南北朝期の臨済宗の僧。一説には弘安5(1282)~文和1/正平7.1.11(1352.1.28)。筑前(福岡県)の人。はじめ黙庵と号した。この号は,正和2(1313)年に渡来僧の一山一寧より授かったものである。のち改名,無為昭元に参じてその法を嗣いだ。康永3(1344)年東福寺の第19世となり,観応1(1350)年には南禅寺(第22世)に昇住した。しばしば召されて内裏に昇り,経典の講義を行ったという。また,近江(滋賀県)清涼寺および三河(愛知県)長興寺の開山となり,聖一派の京都周辺地域への展開の先駆けとなった。<参考文献>『大陽和尚行実』(続郡書類従234巻)

(石井清純)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大陽義冲」の解説

大陽義冲 たいよう-ぎちゅう

1282-1352 鎌倉-南北朝時代の僧。
弘安(こうあん)5年生まれ。臨済(りんざい)宗。無為昭元(むい-しょうげん)の法をつぎ,筑前(ちくぜん)(福岡県)承天寺の住持となる。京都東福寺住持をへて観応(かんのう)元=正平(しょうへい)5年南禅寺住持となった。筑前生まれとも越前(えちぜん)(福井県)生まれともいう。観応3=正平7年1月11日死去。71歳。別号に黙庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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