天王寺屋五兵衛(読み)てんのうじや・ごへえ

朝日日本歴史人物事典 「天王寺屋五兵衛」の解説

天王寺屋五兵衛

没年:元禄7.12.1(1695.1.15)
生年:元和9.7.12(1623.8.8)
江戸前期の大坂両替商創始者。姓は大眉家。同家は摂津国住吉郡遠里小野村(大阪市住吉区遠里小野町)の出身。初代五兵衛(法名光重)の父吉右衛門(秀綱)は大眉家の元祖と呼ばれ,大坂今橋に移り住み,天王寺屋屋号を称した。寛永5(1628)年に両替店を開き,寛文10(1670)年には大坂町奉行により大坂両替屋仲間を統轄する十人両替のひとりに任命された。初代五兵衛は初めて手形の制度を創出して信用機構の確立に貢献した。諸藩の大坂蔵屋敷の蔵元掛屋にもなり,商品取引組織の発達にも大きな役割を果たした。のちに幕府の御用金の徴募や,諸藩による大名貸の起債などにも対応し,「天下の台所」と呼ばれた大坂金融市場の中心的な担い手に成長した。明治維新のとき,経営近代化に成果を上げることができず,歴史の舞台から姿を消した。大眉家の菩提寺久本寺(大阪市中央区谷町8丁目)にある。

(作道洋太郎)

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改訂新版 世界大百科事典 「天王寺屋五兵衛」の意味・わかりやすい解説

天王寺屋五兵衛 (てんのうじやごへえ)

江戸時代の大坂の両替商。姓は大眉氏。初代光重(1623-94)は大坂に盛行した手形の創始者と伝えられ,1670年(寛文10)同地に組織された十人両替に選任された。以後天王寺屋は幕末までほぼ一貫してその地位にあり,幕府の御用両替として公金の出納を取り扱うとともに,雲州松平家,讃州松平家などの蔵元,掛屋を務めるなど,金融業界きっての名門であったが,明治維新の経済変動により倒産した。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天王寺屋五兵衛」の解説

天王寺屋五兵衛 てんのうじや-ごへえ

?-1695* 江戸時代前期の商人
寛永5年大坂で最初に両替商をはじめ,手形の振り出しを創案した。寛文10年大坂町奉行によって制度化された十人両替の筆頭となる。以後,天王寺屋は代々五兵衛を名のり,幕末までつづいた。元禄7年12月死去。摂津住吉郡(大阪府)出身。姓は大眉(おおまゆ)。名は光重。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の天王寺屋五兵衛の言及

【両替】より


[大坂の両替屋]
 両替屋が活躍し栄えた地は三都で,なかんずく大坂が歴史的に古い。両替業は天王寺屋五兵衛をはじめとし,のちに小橋屋浄徳,鍵屋六兵衛が参加し,1662年(寛文2)天王寺屋ともども幕府公用にあたった。両替屋名称の公認はこの年のことである。…

※「天王寺屋五兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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