太安麻呂(読み)おおのやすまろ

改訂新版 世界大百科事典 「太安麻呂」の意味・わかりやすい解説

太安麻呂 (おおのやすまろ)
生没年:?-723(養老7)

奈良初期の官人。《古事記》の編纂者。姓(かばね)は朝臣(あそみ)。安万侶とも記す。壬申の乱に天武天皇側で活躍した武将多品治(おおのほむじ)の子という伝えもある。《続日本紀》によれば,704年(慶雲1)従五位下,711年(和銅4)正五位上,715年(霊亀1)従四位下に叙せられ,翌年氏長となった。没したときには民部卿であった。この間711年9月,元明天皇の詔に従って《古事記》の撰録着手,翌年1月に献上した。彼の仕事は,巫女的人物稗田阿礼(ひえだのあれ)のよみあげる資料としての帝紀旧辞を,再整理し,筆録することにあった。序文の格調高い漢文から推して,彼は漢学素養をもつ当代一流の学者であったことがわかる。しかし《古事記》の筆録にあたっては,漢字の音のみを用いる音仮名と,意味をとる訓字を混用し,変体漢文体を用いた。口誦文化としての神話を文字に定着するために,苦心の末に創始した筆録法であった。彼がこの仕事に選ばれたのは,すぐれた学者だからということだけではなかったらしい。多氏(おおうじ)は,平安朝以降,宮廷神事の歌舞音楽である雅楽をつかさどった。このような伝統古いに違いなく,そうした家柄であったことが,安麻呂と《古事記》や稗田阿礼とを結びつける環であったのだろう。なお多人長(おおのひとなが)による《日本紀弘仁私記》序文には,安麻呂が《日本書紀》の編纂にも加わったとある。1979年,奈良市此瀬町で墓誌が発見された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太安麻呂」の意味・わかりやすい解説

太安麻呂
おおのやすまろ
(?―723)

『古事記』や「墓誌銘」に安万侶と記す。壬申(じんしん)の乱の功臣品治(ほむじ)の子。704年(慶雲1)従(じゅ)五位下、711年(和銅4)正五位上、同年9月元明(げんめい)女帝の命により稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習(しょうしゅう)する勅語旧辞(ちょくごのくじ)を筆録し、翌年正月献上。これが『古事記』(3巻)である。『弘仁(こうにん)私記』序に『日本書紀』編者の一人とあるが確かでない。715年(霊亀1)従四位下、翌年氏長(うじのかみ)(氏上)となる。養老(ようろう)7年7月7日没(墓誌では7月6日没)。ときに従四位下勲五等民部卿(みんぶきょう)。1979年(昭和54)奈良市此瀬(このせ)町の茶畑から安麻呂の墓が発見され、墓誌が出土した。

[黛 弘道]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太安麻呂」の意味・わかりやすい解説

太安麻呂
おおのやすまろ

[生]?
[没]養老7(723).7.7. 奈良
古代の律令官人。民部卿。安万侶とも書く。壬申の乱に功のあった多臣品治 (ほむじ) の子という。慶雲1 (704) 年従五位下。和銅4 (711) 年正五位上。同年元明天皇の詔により,舎人稗田阿礼の誦習した帝皇日継,先代旧辞を撰録し,翌年『古事記』3巻として献上した。その序文は彼の作である。霊亀1 (715) 年従四位下。同2年氏長。養老4 (720) 年舎人親王らとともに『日本書紀』を編纂したという。 1979年奈良市で出土した墓誌が現存する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太安麻呂」の解説

太安麻呂 おおの-やすまろ

?-723 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏。
多品治(おおの-ほむち)の子とつたえられる。和銅4年元明天皇の詔により稗田阿礼(ひえだの-あれ)の口誦(こうしょう)する帝紀や旧辞を「古事記」にまとめた。また「日本書紀」の編修にも参加したという。民部卿となり,霊亀(れいき)2年氏長(うじのおさ)。昭和54年奈良市此瀬(このせ)町から墓誌が出土,養老7年7月6日死去と判明。名は安万侶ともかく。
【格言など】已(すで)に訓に因(よ)りて述べたるは,詞(ことば)心に逮(およ)ばず。全く音をもちて連ねたるは,事の趣き更に長し(「古事記序」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「太安麻呂」の解説

太安麻呂
おおのやすまろ

?~723.7.6

安万侶とも。奈良時代の官人。姓は朝臣(あそん)。「古事記」「日本書紀」の編者。父は多品治(おおのほむち)。711年(和銅4)9月,元明天皇の詔をうけて稗田阿礼(ひえだのあれ)の暗誦していた「帝紀」「旧辞」を撰録し,翌年「古事記」を献上。同じ頃,「日本書紀」の編纂にたずさわったと考えられる。715年(霊亀元)従四位下。民部卿で没した。1979年(昭和54)奈良市此瀬町で墓誌が出土した。

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世界大百科事典(旧版)内の太安麻呂の言及

【多氏】より

…また後に863年(貞観5)に臣姓より宿禰(すくね)に改められた者もある。有名な人物としては,壬申の乱で大海人皇子(おおあまのおうじ)方について活躍した多品治,《古事記》を編纂した太安麻呂,813年(弘仁4)の《日本書紀》講読の講師をつとめた多人長などがいる。のち平安時代以後宮廷の雅楽をつかさどる楽家として重きをなした。…

【古事記】より

…《古事記》の編纂事情を語るのは序文だけである。それによると,天武天皇が稗田阿礼(ひえだのあれ)に資料となる〈帝紀・旧辞〉を誦習させたが,完成せず,三十数年後,元明天皇の詔をうけて太安麻呂(おおのやすまろ)がこれらを筆録し,712年(和銅5)正月に献上したとある。稗田阿礼は男性であったとする説もあるが,神の誕生を意味するアレという名や《古事記》の内容からして,巫女とみた方がよい。…

※「太安麻呂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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