太平道(読み)たいへいどう

精選版 日本国語大辞典 「太平道」の意味・読み・例文・類語

たいへい‐どう ‥ダウ【太平道】

〘名〙 中国の後漢末に張角が唱えた民間宗教、およびその結社五斗米道とともに道教の源流をなす。神仙説を受け、呪文懺悔符水病気を治癒させるとし、河北山東河南に広がり、黄巾の乱をおこした。

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デジタル大辞泉 「太平道」の意味・読み・例文・類語

たいへい‐どう〔‐ダウ〕【太平道】

中国、後漢末の2世紀後半、張角が起こした宗教結社。病気治しの教法中心多く信徒を得た。五斗米道とともに道教の源流をなした。→黄巾こうきんの乱

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太平道」の意味・わかりやすい解説

太平道
たいへいどう

中国、後漢(ごかん)末期におこった新宗教。干吉(かんきつ)が神人から授けられた『太平清領書(たいへいせいりょうしょ)』170巻によって、張角(ちょうかく)がこの宗教を始めたと伝えられる。これに太平道という呼称が与えられたのは、この書に基づくと考えられる。彼の教法とは、神は地上の人々の日常行為を監察しており、罪過を犯すとその罰として病気にかからせる。そこで、病人をして自己の犯した罪を反省し、神の前に懺悔(さんげ)告白させ、ふたたび罪を犯さないことを誓わせる。そのうえで、霊力があるとされる符水(ふすい)を飲ませ、聖職者(師)が神呪(しんじゅ)を唱えて神の許しを請う、というものである。このような方法で病気の治った者も多く、下層農民流民は彼の教法を信じ、わずかな期間に、信徒が数十万人に及んだ。すなわち、太平道教団は個人的信仰に基づく集団であり、その成立には豪族跋扈(ばっこ)による社会の変質が大きく作用していると考えられる。なお、張角は184年に黄巾(こうきん)の乱を起こしたことでも有名である。

[尾崎正治]

『福井康順著『道教の基礎的研究』(1952・理想社)』『大淵忍爾著『道教史の研究』(1964・岡山大学共済会書籍部)』

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改訂新版 世界大百科事典 「太平道」の意味・わかりやすい解説

太平道 (たいへいどう)
Tài píng dào

2世紀後半,後漢代に鉅鹿(きよろく)郡(河北省南部)の張角によって組織された中国最初の道教教団。西方の巴蜀および漢中の地域に発展した五斗米道(ごとべいどう)とほぼ時期を同じくする。〈大賢良師〉と称した張角は,病人に罪の懺悔をもとめ,お札や霊水を飲ませ,呪文をとなえて神のゆるしを請う,そのような方法で布教をすすめた。十数年の間に,信者は中国東半部の広い地域にわたって数十万人に達し,36の〈方〉とよばれる集団に組織された。大方は1万余人,小方は6000~7000人を数えたこの組織を中心として,王朝末期の窮乏農民は,184年いっせいに蜂起した。すなわち〈黄巾(こうきん)の乱〉である。張角は天公将軍と称し,弟の地公将軍張宝,人公将軍張梁とともに反乱の指導者となった。太平道と黄巾の乱の理論的根拠が《太平経》にもとめられたのかどうかについては,学者のあいだでも意見が分かれる。
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百科事典マイペディア 「太平道」の意味・わかりやすい解説

太平道【たいへいどう】

中国,後漢末期の2世紀末に興った宗教結社の一つ。張角〔?-184〕が組織したとされるが,源流は後漢中期の于吉にさかのぼり,彼が太上老君から《太平清領書》170巻を受け,それに因んで太平道という教えを開いたといわれ,その弟子が時の皇帝(順帝)に書を献上したものの無視された。その頃,河北省に張角が現れ,内容を発展させて呪文による病気治療を唱え,〈大賢良師〉を自称して8人の弟子を四方に派遣し,10年余の間に数十万の信徒を得たという。後漢末の社会の混乱に乗じて184年,〈天公将軍〉と自称して信徒を36方の軍隊組織に編成して挙兵,黄巾の乱を起こした。反乱は討伐されたが,呼応した動きが各地で見られ,豪族も挙兵し,後漢帝国はまもなく滅亡にむかう(220年)。おなじ頃の宗教結社五斗米道とともに,太平道は5世紀半ばに教団化される道教の源流の一つとなった。→寇謙之(こうけんし)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太平道」の意味・わかりやすい解説

太平道
たいへいどう
Tai-ping-dao

中国,後漢末期の民間宗教の一種。五斗米 (ごとべい) 道とともに道教の源流といわれる。後漢の干吉 (かんきつ) が『太平清領書』に基づいて開いたといわれ,そののち鉅鹿 (きょろく) の人,張角が呪術を行なってこの説を広め,十数年の間に信徒数十万となった。そこで信徒を 36の集団 (方) に分け,それぞれに将軍をおいて統率させ,流言を放って,後漢王朝打倒の目標を明らかにした。計画が漏れ弾圧が加わると,中平1 (184) 年2月黄巾 (こうきん) をつけて一斉に蜂起した (→黄巾の乱 ) が,張角はまもなく死に,乱も約1年で鎮圧された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「太平道」の解説

太平道(たいへいどう)

後漢末の2世紀後半に張角が創始した宗教結社。五斗米道(ごとべいどう)とともに道教の源流をなす。神仙思想を受け,呪文(じゅもん)で病人に懺悔させ符水を飲ませた。河北,山東を中心に農民に広まり,張角はこの衆徒をもって黄巾(こうきん)の乱を起こした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「太平道」の解説

太平道
たいへいどう

2世紀後半に黄巾 (こうきん) の乱の首領張角が唱えた秘密宗教,およびその結社
五斗米道とともに道教の源流をなす。後漢 (ごかん) 末期の混乱に乗じて張角みずから大賢良師と称し,宗教的儀礼により病人を治すかたわら,独占を廃し,平等を唱えた。十余年の間に河北・山東・河南に信者数十万を得,漢室に代わろうとして,184年黄巾の乱を起こした。

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世界大百科事典(旧版)内の太平道の言及

【漢】より

…黄巾の乱はその最大規模のものである。黄巾というのは蜂起に参加した人が黄色の布で頭を包んだところからよばれた名で,その母体は鉅鹿(きよろく)(河北省)の張角がはじめた太平道という。後にはこれが道教に発展する新興宗教の教団であった。…

【張角】より

…中国,後漢末に蜂起した黄巾(こうきん)の乱の首領で,道教の源流の一つ〈太平道〉の唱導者。鉅鹿(きよろく)(河北省中部)の人。…

※「太平道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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