夫差(読み)ふさ

精選版 日本国語大辞典 「夫差」の意味・読み・例文・類語

ふさ【夫差】

中国春秋時代の呉の王。父の闔閭(こうりょ)が越王勾践(こうせん)と戦って死ぬと、薪(たきぎ)の上に臥して復讐を誓い、ついに越軍を破ったが、伍子胥(ごししょ)の言を聞かず、越を滅ぼさなかったため、のち越王勾践によって滅ぼされた。前四七三年没。

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デジタル大辞泉 「夫差」の意味・読み・例文・類語

ふさ【夫差】

[?~前473]中国、春秋時代の王。在位、前496~前473。勾践こうせんを破って父闔閭こうりょの復讐を果たしたが、のち、助命した勾践に会稽かいけいで敗れ、自殺した。→臥薪嘗胆がしんしょうたん

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「夫差」の意味・わかりやすい解説

夫差
ふさ
(?―前473)

中国、春秋時代末の呉(ご)国の王(在位前496~前473)。父の闔閭(こうりょ)は前496年、江蘇(こうそ)の大国越(えつ)の王允常(いんじょう)の死に乗じて越を攻め、即位した越王勾践(こうせん)に敗れて傷つき、死去した。いわゆる臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の故事は、夫差と勾践が恥を忍び復讐(ふくしゅう)を成就させたことで有名。『十八史略』に「臥薪」を夫差、「嘗胆」を勾践の事績とするが、そもそも『左伝』に見える説話では、「臥薪」(の元の話)、「嘗胆」いずれも勾践の事績で、「坐臥のたびに胆を仰ぎ、飲食のたびに嘗胆する」であった。いずれにしても夫差はその恥を忘れず勾践を降伏させ(前494)、勾践もその恥を忘れなかった。前486年、呉は運河である邗江(かんこう)を掘削し、淮水(わいすい)と長江(ちょうこう)を連結した。これがのち、隋(ずい)の煬帝(ようだい)の大運河の元になる工事である。この運河を利用し、呉は翌前485年海上から山東の斉(せい)を討っている。前482年、夫差は黄池(河南省)に中原(ちゅうげん)の諸侯と会盟し、晋(しん)の定公と盟主の座を争ったが、長年時期をうかがっていた越王勾践が不意をついて呉に侵攻したため、帰国のやむなきに至った。以後、越の相次ぐ侵攻に抗しきれず、前473年、夫差は自害し呉は滅亡した。

[平勢隆郎]

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百科事典マイペディア 「夫差」の意味・わかりやすい解説

夫差【ふさ】

中国,春秋時代のの王(在位前496年―前473年)。越王句践(こうせん)を会稽(浙江省紹興)に破って父(闔閭(こうりょ))のあだを報じた。これより北方に進出。中原に覇をとなえたが,その虚を句践につかれ,敗れて自殺。呉国も滅んだ。→臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
→関連項目西施范蠡

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改訂新版 世界大百科事典 「夫差」の意味・わかりやすい解説

夫差 (ふさ)
Fū chā
生没年:?-前473

中国,春秋末の呉の王。在位,前496-前473年。越王句践(こうせん)と檇李(すいり)(浙江省平湖県の西)で戦って敗死した父闔閭(こうりよ)の遺言をうけ,夫差は王位に即くと精兵を率いて越を夫椒(ふしよう)山に破った(前494)。句践が会稽(かいけい)山にたてこもり和を請うと,伍子胥(ごししよ)の諫言をきかずに助命した。のち,斉・魯に出兵し,前482年には黄池(河南省封丘県の南)で会盟をおこない覇者となったが,その間に兵力を充実して機会をうかがっていた句践に攻めたてられ,夫差は敗れて自殺し,呉は滅亡した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「夫差」の意味・わかりやすい解説

夫差
ふさ
Fu-chai; Fu-ch`ai

[生]?
[没]夫差23(前473)
中国,春秋時代王 (在位前 496~473) 。父は五覇の一人の闔閭 (こうりょ) 。父が越王勾践 (こうせん) に敗れて死んだあと復讐を誓い,大宰ひ (だいさいひ) や伍子胥 (ごししょ) の努力で夫差2 (前 494) 年に夫椒でを破った。そのとき勾践を殺すべきであると進言した伍子胥の言を聞かず,のちの滅亡の因をつくった。覇者となろうとして黄池の会を開いたが,そのすきに勾践の侵入を受け,急いで帰国し越と講和を結んだ。そののち,しばしば越と交戦したが,同 23年姑蘇 (こそ) の戦いに敗れて自殺した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「夫差」の解説

夫差(ふさ)

?~前473(在位前495~前473)

荀子(じゅんし)五覇の一人とする闔閭(こうりょ)の子。春秋時代末期の呉王で,五覇にあげられることもある。闔閭が越(えつ)との戦争で負傷し,夫差に越王勾践(こうせん)への復讐を遺言した。3年後夫差は夫椒(ふしょう)で報復したが,伍子胥(ごししょ)の意見を聴かずに勾践を許した。夫差は北方に目を向け,隙に乗じてに軍を出す。しかし「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」で復讐の機をねらっていた勾践が呉を攻めると,夫差は自殺し,呉は滅亡した。『越絶書』では墓は太湖(たいこ)の近くにあると伝える。

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旺文社世界史事典 三訂版 「夫差」の解説

夫差
ふさ

?〜前473
春秋時代の呉の王(在位前496〜前473)
父の闔閭 (こうりよ) が越王勾践 (こうせん) に敗死したあとをついだ。のち勾践を会稽 (かいけい) 山に破り報復し前482年には諸侯と会盟して覇者となったが,再び勾践に敗れて自殺。呉越両国の復讐物語の故事「臥薪嘗胆 (がしんしようたん) 」で知られる。

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世界大百科事典(旧版)内の夫差の言及

【句践】より

…父允常(いんじよう)以来隣国の呉とは宿敵の関係にあった。父の死後,句践が立って呉王闔閭(こうりよ)を破ると,闔閭の遺命をうけた子の夫差は,2年後に句践を会稽山に下して父の仇に報いた(前494)。許されて帰国した句践は,范蠡(はんれい)らとともに臥薪嘗胆(がしんしようたん)して会稽山の恥を忘れることなく力を養って20年,ついに前473年に呉を討ってこれを滅ぼした。…

【西施】より

…そうした伝説をまとめれば,西施は,姓は施,名は夷光,浙江省諸曁(しよき)の苧夢(ちよぼう)村の生れ。美人であったため,敗国の辱をすすごうとする越王句践(こうせん)が呉王夫差(ふさ)のもとに彼女を送りこみ,政治を怠らせようとした。呉王の寵を得ると,西施はさまざまな難題を要求して呉国を疲弊させた。…

※「夫差」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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