妙興寺(読み)ミョウコウジ

デジタル大辞泉 「妙興寺」の意味・読み・例文・類語

みょうこう‐じ〔メウコウ‐〕【妙興寺】

愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は、長島山。正平3=貞和4年(1348)滅宗宗興の創建。足利将軍家の祈願所後光厳天皇勅願寺として隆盛。

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精選版 日本国語大辞典 「妙興寺」の意味・読み・例文・類語

みょうこう‐じ メウコウ‥【妙興寺】

愛知県一宮市大和町にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は長嶋山。正式名は妙興報恩禅寺。貞和四年(一三四八)滅宗宗興が創建。開山は円通大応。後光厳天皇の勅願所足利氏歴代の祈願所。足利義教画像・大応国師坐像はじめ古文書類を所蔵する。

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日本歴史地名大系 「妙興寺」の解説

妙興寺
みようこうじ

[現在地名]一宮市大和町妙興寺

市の南部にある。長島山と号し、臨済宗妙心寺派、正式には妙興報恩みようこうほうおん禅寺と呼称し、本尊は如意輪観世音菩薩・釈迦牟尼如来。中島郡中島村の城主中島蔵人の子、滅宗宗興(諡号円光大照禅師)が貞和四年(一三四八)に創建。開山は円通大応で、さらに円光大照をさすこともある。初めは報恩寺と称した。

妙興寺文書によれば貞和二年九月の荒尾宗顕売券および寄進状があり、三町の畑が寄進されている。報恩寺の呼称は貞治年間(一三六二―六八)頃まで多く使用され、妙興寺の名は貞和三年の荒尾宗顕寄進状に「寄進 報恩寺 尾張国中嶋郡妙興寺同畠地等事」とみえる。

妙興寺
みようこうじ

[現在地名]長船町福岡

日蓮宗寺院。もと安房小湊こみなと(現千葉県安房郡天津小湊町)誕生たんじよう寺末寺。本尊勧請様式は一塔両尊四士、合掌印。山号は教意山。福岡ふくおか市の中央部にあたる市場小路いちばこうじにある。寺伝等によると、当寺は応永一〇年(一四〇三)三月、開山権大僧都日伝が亡父の播磨守護赤松右京大夫の冥福を祈らんため、当地に草庵を結んだことに始まり、山号も則興の法号である教意宗興にちなむという。

妙興寺
みようこうじ

[現在地名]小浜市鹿島

後瀬のちせ山の西側山裾にある。後瀬山と号し、日蓮宗。本尊十界大曼陀羅。永仁二年(一二九四)日像によって創建されたと伝え、当初は欠脇かけのわき心光しんこう(現小浜市)辺りにあったという(若州管内社寺由緒記)。享徳四年(一四五五)六月五日、武田信賢は「妙興寺」に禁制を下している(当寺文書)。永正一五年(一五一八)には日野重子の田地寄進があり、遠敷おにゆう郡のうちに九段の寺領があった(同年一二月一三日「武田元信奉行人粟屋元隆奉書」同文書)

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改訂新版 世界大百科事典 「妙興寺」の意味・わかりやすい解説

妙興寺 (みょうこうじ)

愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は長島山。正式には妙興報恩禅寺。初めは報恩寺と称した。1348年(正平3・貞和4)円通大応国師南浦紹明(なんぽしようみよう)の法嗣(はつす)滅宗宗興(めつしゆうそうこう)が,荒尾郷の領主荒尾宗顕を檀越(だんおつ)として創建にかかり,65年(正平20・貞治4)完成し,南浦紹明を勧請開山とした。その前年足利義詮御教書により,諸山位に列せられ,同時に十方住持制を採用することになったが,実質的には大応派が住持を占めた。足利将軍家の祈願寺,後光厳天皇の勅願寺になるなど,尾張地方の中心的な禅刹であった。その後幾多の消長を経て,とくに1890年の火災,翌年の濃尾地震により大きな被害を受けたが,1916年再興された。専門道場をもち,また創建当初の唯一の遺構である勅使門をはじめ,木造大応国師座像,紙本著色足利義教画像などが重要文化財に指定され,地方寺院としては豊富な文化財を残す。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「妙興寺」の意味・わかりやすい解説

妙興寺
みょうこうじ

愛知県一宮(いちのみや)市大和(やまと)町妙興寺にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。長島山と号し、正しくは妙興報恩禅寺という。1348年(正平3・貞和4)滅宗宗興(めつしゅうそうこう)の創建。後光厳(ごこうごん)天皇の勅願寺となって七堂伽藍(がらん)が完成。足利(あしかが)家歴代の帰依(きえ)を受け尾張(おわり)一国の中心的禅刹(ぜんさつ)となった。現在、妙心寺派専門道場となっている。多くの文化財があり、1366年(正平21・貞治5)建立の勅使門、絹本着色仏涅槃(ねはん)図、紙本着色足利義教(よしのり)像、絹本墨画白衣観音(びゃくえかんのん)図、絹本着色十六羅漢像、木造大応国師坐像(ざぞう)(開山堂)などは国重要文化財、鐘楼などが県文化財に指定されている。

[菅沼 晃]

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百科事典マイペディア 「妙興寺」の意味・わかりやすい解説

妙興寺【みょうこうじ】

愛知県一宮(いちのみや)市にある臨済宗妙心寺派の寺。初め報恩寺と称した。1348年南浦紹明(なんぼしょうみょう)(大応国師)の法嗣滅宗宗興(めつじゅうそうこう)が荒尾宗顕(あらおむねあき)を檀越として創建にかかり,1365年完成,紹明を勧請開山とした。足利将軍家の祈願寺,後光厳(ごこうごん)天皇の勅願寺となるなど,尾張の中心的禅寺。創建当初の遺構の勅使門,木造大応国師座像・紙本着色足利義教(よしのり)画像などは重要文化財。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「妙興寺」の意味・わかりやすい解説

妙興寺
みょうこうじ

愛知県一宮市にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は長島山。正平3=貞和4 (1348) 年滅宗宗興が創建。後光厳院の勅願所となり,歴代の足利氏の祈願所であった。天正 18 (1590) 年南化玄興が中興。のち尾張徳川家の保護を受けた。

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デジタル大辞泉プラス 「妙興寺」の解説

妙興寺

愛知県一宮市にある寺院。臨済宗妙心寺派。山号は長島山。本尊は如意輪観世音菩薩、釈迦牟尼如来。勅使門は後光厳天皇の勅願による建立と伝わり、国の重要文化財に指定。

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