子産(読み)こむ

精選版 日本国語大辞典 「子産」の意味・読み・例文・類語

こ・む【子産】

〘自マ四〙 (「こうむ」の変化した語) 卵(たまご)子どもをうむ。出産する。
古事記(712)下・歌謡そらみつ 大和の国に 雁古牟(コム)と聞くや」

こ‐うませ【子産】

〘名〙 産婆。〔羅葡日辞書(1595)〕
※俳諧・新増犬筑波集(1643)油糟「毛の有なきはさぐりてぞしる うみ月になれば子むませよびよせて」

こ‐うみ【子産】

〘名〙 子を産むこと。出産。
※栄花(1028‐92頃)鶴の林「中納言殿の上も、この頃御こうみの事あべければ」

しさん【子産】

中国春秋時代、鄭(てい)国の宰相。名宰相として「春秋左氏伝」などに登場する。前五二三年没。

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デジタル大辞泉 「子産」の意味・読み・例文・類語

しさん【子産】

[前585?~前522]中国、春秋時代ていの宰相。法治主義によって国を治め、中国最初の成文法を作った。外交にも優れ、巧みに大国間の均衡を保ち平和を実現した。
宮城谷昌光の長編歴史小説。生涯を描く。平成12年(2000)、上下2巻で刊行。第35回吉川英治文学賞受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「子産」の意味・わかりやすい解説

子産
しさん
(?―前522)

中国、春秋時代、鄭(てい)の大夫(たいふ)。鄭の穆公(ぼくこう)(在位前627〜前606)の孫。公子国(こうしこく)の子。名は僑(きょう)、そのため公孫僑(こうそんきょう)ともいう。子産は字(あざな)。紀元前554年卿(けい)となり政治に参画し、前543年執政となり国政をつかさどった。彼は諸公子の内紛を治め、田地の区画や農村再編、貴人大夫の専横を抑えるなど内政改革に着手し、賦税を改め(前538)、成文法典を鼎(てい)に鋳た(前436)。彼の政治は「天道遠く、人道邇(ちか)し」との言にうかがえるように、迷信を排除して人知を尽くすもので、法治を旨とする。多難な政局にあって鄭国をまとめ、法家の開祖に擬せられる。政局にあること33年、彼の道徳にかなった行動は孔子(こうし)も高く評価している。

[飯島和俊 2015年12月14日]

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改訂新版 世界大百科事典 「子産」の意味・わかりやすい解説

子産 (しさん)
Zǐ chǎn
生没年:?-前522

中国,春秋時代の名宰相。姓は公孫,名は僑,子産は字である。鄭の穆公(ぼくこう)の孫。前543年に伯有の乱を収拾し,以後20年間,正卿として鄭国の政治をとるが,すぐれた政治的手腕と博識をもって,晋と楚との両強国の間にはさまれながら,鄭を戦禍から免れしめた。また税制や田制を改革し,貴族間の紛争を調停して,中国最初の成文法を作り,法治主義による統治を実現した。その合理主義的な考えかたは孔子に継承された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「子産」の意味・わかりやすい解説

子産
しさん
Zi-chan; Tzü-ch`an

[生]前585頃
[没]前522頃
中国,春秋時代の賢人政治家。穆公の孫,子国の子。名は僑。子産は字。大貴族の横暴を押え,下級貴族を統制して国力を充実させた。晋, 2強国の間で外交面にも活躍。前 536年刑鼎 (けいてい。鼎に鋳字した法律) を発布。法治主義的政策を実施し,諸侯の政治に影響を与えた。

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百科事典マイペディア 「子産」の意味・わかりやすい解説

子産【しさん】

中国,春秋時代の鄭の政治家。前536年刑法を銅鼎(どうてい)に鋳て民に示し(最初の成文法),初めて法治主義による政治を行った。小国の鄭を覇者楚・晋の間に置いて維持し,その博識・雄弁をもって賢人とうたわれ,合理主義的な考え方は孔子に継承された。

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世界大百科事典(旧版)内の子産の言及

【孔子】より

… 孔子が理想の人物として思慕したのは,周の礼楽文化を定め,周王朝の基礎をきずいた,名宰相の周公である。直接に強い影響をうけたのは,孔子が30歳のころに没した鄭の子産――人間中心の立場,合理主義を力強く宣言した博学の政治家であった――とみられている。《論語》によるかぎり,孔子は常識人であり,凡人であったのではないか,と思われる。…

【春秋戦国時代】より

…この魏の改革の基本は,農民をはじめ国の構成員をすべて一つの法体系のもとに掌握し,個々の人民から直接租税を徴収して国家財政の基礎とし,貴族の政治への介入を排除しようとするものであった。この傾向はすでに春秋後半にあらわれ,前594年に魯では農民の耕地面積に応じた徴税が行われ,やや遅れて,鄭では宰相子産が,農民を什伍制によって再編成し,隠田(かくしだ)の調査をしたり,新たに軍事費を負担させたり,慣習法に代わって成文法を発布している。これは上述の身分制が崩れ,農村の分解が生じてきたために,従来の慣習法では社会秩序が保てなくなったからであり,また春秋後半から鉄製農具が盛行し,私的な開墾なども行われて,生産が増大し貧富差が拡大してきたことによるものであった。…

※「子産」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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