宇治紫文(初代)(読み)うじ しぶん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇治紫文(初代)」の解説

宇治紫文(初代) うじ-しぶん

1791-1858 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
寛政3年生まれ。江戸浅草の名主で,一中節の2代菅野(すがの)序遊に師事。のち都派にうつり,都一閑斎を名のる。嘉永(かえい)2年宇治派おこし,宇治紫文斎と号した。新曲を数おおくつくり,一中節宇治派の基礎をきずいた。安政5年2月23日死去。68歳。本名は勝田権左衛門。狂号は千種庵諸持(ちぐさあん-もろもち)。

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朝日日本歴史人物事典 「宇治紫文(初代)」の解説

宇治紫文(初代)

没年:安政5.2.22(1858.4.5)
生年:寛政3(1791)
江戸後期,一中節の3流派のひとつ宇治派の創始者。本名は勝田権左衛門,通称雄輔。江戸浅草材木町の名主。はじめ一中節菅野派の家元2代目菅野序遊に入門し,のちに都派に転じ都一閑斎と名乗る。さらに嘉永2(1849)年に宇治紫文斎と名乗り,宇治派を樹立。新曲数十曲を作った。

(吉野雪子)

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