宇部市(読み)ウベシ

デジタル大辞泉 「宇部市」の意味・読み・例文・類語

うべ‐し【宇部市】

宇部

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「宇部市」の解説

宇部市
うべし

面積:二〇七・〇一平方キロ

県の南西部、南は周防灘に面し、東は山口市と吉敷よしき小郡おごおり町・同郡阿知須あじす町、北は美祢みね美東みとう町、西は厚狭あさくすのき町と小野田市に接する。市の北部は中国山地から続く丘陵地で、南部は宇部岬を南端に緩やかな半島を形づくっている。周防灘に面する海岸部は中世からの干拓によってできた土地で、堤防によって囲まれた零メートル地帯が多い。東部も丘陵地が多く、用水池として常盤ときわ池がつくられ、ここからの掘割用水によって水田化している。市域内には霜降しもふり(二五〇・二メートル)が目立つ程度で総じて低山が多く、また河川のうち、美祢郡秋芳しゆうほう町に水源をもち市の西部を南流して周防灘に注ぐ厚東ことう川のほかは小河川である。

市の大部分は旧厚狭郡域で、東岐波ひがしきわ西岐波にしきわ地区が旧吉敷郡域であった。

〔原始・古代〕

市域は旧厚狭郡域で先土器・縄文遺跡の最も多い所で、東部の洪積世期の海岸段丘からなる西岐波の山村やまむら白土しらつちなどから旧石器が出土する。東岐波海岸部の岬に、縄文から弥生にかけての複合遺跡である月崎つきさき遺跡があり、川上かわかみの字北迫きたさこにある蛎塚かきづかには弥生期の貝塚と住居跡の残る北迫遺跡がある。また常盤池周辺でも先土器時代から縄文時代にかけての遺物が出土する。

古墳時代の遺跡として、円墳が市内でおよそ三〇ヵ所発見されており、厚東川中流域・真締まじめ川流域・東岐波海岸に多く、萱曲かやまがり古墳・亀浦かめうら古墳・砂山すなやま古墳・若宮わかみや古墳群は比較的保存がよい後期のものである。

宇部市は「和名抄」にみえる厚狭郡九郷のうちどの郷に含まれるか明らかでない。駅家については、「延喜式」にみえる厚狭郡三駅のうち「阿潭駅」が市北部にあったことが推定されており、古代の山陽道が現山中やまなか車地くるまじ木田きだ吉見よしみ棚井たないの各地を通っていたことから、これらのうちのいずれかと思われる。

宇部の地名は、一二世紀初めに成立した源俊頼の私家集「散木奇歌集」に「むべといふとまり」とみえるのが早い。

宇部市
うべし

2004年11月1日:宇部市が厚狭郡楠町を編入
【楠町】山口県:厚狭郡
【宇部市】山口県

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宇部市」の意味・わかりやすい解説

宇部〔市〕
うべ

山口県南西部にある市。周防灘に臨み,海岸の干拓地と背後の台地と丘陵からなる。 1921年市制。 1931年藤山村,1941年厚南村,1943年西岐波村,1954年小野村,二俣瀬村,厚東村,東岐波村の4村,2004年町をそれぞれ編入。中心市街地の宇部は厚東川河口東岸にあり,明治以後宇部炭田の採掘により,炭鉱町として急速に発展した。当時海底炭田の規模としては日本一。第1次世界大戦後は工業化も進み,化学肥料,ソーダ,硫酸,セメント,火力発電など石炭化学コンビナートを中軸とする工業都市に成長。第2次世界大戦後,石炭業の斜陽化とともに 1967年炭鉱が閉山。その後緑と花の都市計画がいち早く進められ,宇部方式と呼ばれる独自の公害対策が行なわれ,全国有数の公園都市となった。常盤公園,渡辺翁記念会館,宗隣寺庭園 (国指定名勝) ,山口大学の医学部工学部などがある。背後の丘陵地ではチャ (茶) が栽培される。吉部の大岩郷は国の天然記念物。 JR宇部線のほか山陽本線,国道2号線,190号線,490号線,山口宇部道路が通じ,山口宇部空港がある。面積 286.65km2。人口 16万2570(2020)。

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