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守田勘弥(森田勘弥) もりたかんや

世界大百科事典 第2版の解説

もりたかんや【守田勘弥(森田勘弥)】

守(森)田座の座元,太夫元,歌舞伎俳優。10世まで〈森田〉の字を用いた。(1)初世(?‐1679?(延宝7?)) 坂東又九郎の次男。森田座の創設者森田太郎兵衛の養子となり,勘弥となる。1668年(寛文8)には河原崎座と合併興行し,森田勘弥河原崎権之助,坂東又九郎と三名代で興行をした年もあった。初世の経歴については不明な点が多い。(2)2世(?‐1734(享保19)) 坂東又次郎の子,又九郎の孫。初世没後,太夫元を相続,勘弥となる。

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世界大百科事典内の守田勘弥(森田勘弥)の言及

【興行】より

…京阪においても同様の処置が行われた。12世守田勘弥が,守(森)田座を猿若町から新富町に移転して新富座を新築し,観客席の一部を椅子席として観劇の仕組を改革したり,また植村文楽軒の操芝居が,大阪博労町の稲荷社境内から松島に移って,文楽座と名のって興行をしたのが,ともに明治5年のことである。99年11月に,福地源一郎(桜痴)と千葉勝五郎らによって木挽町に歌舞伎座(1824席)が開場した。…

【座元(座本)】より

…江戸時代の歌舞伎の興行権を持つ者の称。櫓主,太夫元ともいう。江戸では,1624年(寛永1)に猿若(中村)勘三郎が幕府に願い出て,中橋での興行を許されたのが座元の始まりで,以後,都伝内,村山又三郎,山村小兵衛(長太夫),河原崎権之助,森田太郎兵衛,玉川新十郎がそれぞれ劇場を立てて座元となった。57年(明暦3)の江戸大火後,中村勘三郎,市村宇(羽)左衛門,森田勘弥,山村長太夫の4人に限り座元として興行することが許されたが,1714年(正徳4)の江島生島事件で山村長太夫が官許を取り消され,山村座は廃絶した。…

【新富座】より

…しかし,79年9月外人の一座を招いて劇中劇に《漂流奇談西洋劇(ひようりゆうきだんせいようかぶき)》という合同劇を上演させて失敗。このころから座主守田勘弥の負債がかさみはじめ,その後は座主名義を変更したり,座主が変わったりして,座名も猿若座,桐座,深野座,都座などと頻繁に変わっている。97年新富座に復名,1909年松竹合名社が買収,23年関東大震災で焼失するまで存続した。…

※「守田勘弥(森田勘弥)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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