20世紀日本人名事典 「安岡 正篤」の解説
安岡 正篤
ヤスオカ マサヒロ
大正・昭和期の陽明学者
- 生年
- 明治31(1898)年2月13日
- 没年
- 昭和58(1983)年12月13日
- 出生地
- 大阪府大阪市
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学政治学科〔大正11年〕卒
- 経歴
- 20代前半から陽明学者として活躍し、大正デモクラシーに抗して伝統的日本主義を主張。昭和2年に金鶏学院、16年に日本農士学校を設立、東洋思想の研究と後進の育成に努めた。7年国維会に参加、戦中は小磯内閣の大東亜省顧問となり、終戦時の玉音放送の原案に朱を入れた。その後、24年全国師友協会を設立、政財官界の指導者を教化。33年新日本協議会に参加、安保推進、改憲を唱える。吉田首相から中曽根首相までの歴代首相から師と仰がれ、池田勇人の派閥を宏池会と名づけ、佐藤栄作の施政方針演説などの草稿に当たったが、生涯政治の表舞台には登場していない。著書に「東洋倫理概論」「政治と実践哲学」「王陽明研究」「陽明学十講」など約50冊。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報