安達安子(読み)あだち・やすこ

朝日日本歴史人物事典 「安達安子」の解説

安達安子

没年:大正2.7.28(1913)
生年天保6.10.12(1835.12.1)
明治期の教育者加賀(金沢)藩士山内信一の長女。母は石川氏。同藩の安達幸之助(大村益次郎の鳩居堂塾頭,大村と共に徴兵制に反対する刺客に襲われ死去)と結婚。明治5(1872)年石川県令の内命により金沢女学校創立。9年京都府女学校権舎長。14年より東京女子師範(お茶の水女子大)の舎監,教諭として女子教育に従事。退官後,京都で東亜仏教婦人会を起こし,貧民子女のために京都に慈愛手芸女学校を創立。<参考文献>桜蔭会発行『安達安子先生』

(高橋阿津美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安達安子」の解説

安達安子 あだち-やすこ

1835-1913 明治時代の教育者。
天保(てんぽう)6年10月12日生まれ。安達幸之助の妻。加賀金沢藩士の娘。明治5年に石川県令の命で金沢に女学校を創立。25年女子高等師範(現お茶の水女子大)教授となる。のち京都市教育会婦人部長,慈愛女学校校長。大正2年7月28日死去。79歳。旧姓は山内。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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