精選版 日本国語大辞典 「安達景盛」の意味・読み・例文・類語
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鎌倉前期の武将。父は盛長(もりなが)、母は丹後内侍(たんごのないし)。源頼朝(よりとも)挙兵以来、父とともに仕え、幕府開創に尽くす。2代将軍頼家(よりいえ)、3代将軍実朝(さねとも)にも仕え、幕府の重鎮であった。実朝の死に際しては多くの御家人(ごけにん)とともに出家した。この間、1218年(建保6)に秋田城介(あきたじょうのすけ)となり、以後この地位は安達氏の世襲となった。出家後は大蓮房覚智(地)(だいれんぼうかくち)と号し、高野山(こうやさん)に入り、実朝菩提(ぼだい)のために金剛三昧院(こんごうさんまいいん)を建立した。高野山にありながらも幕府の要請にこたえて幕政に参画し、とくに北条経時(つねとき)、時頼(ときより)の執権時代にはその外祖父として権勢を振るった。1247年(宝治1)には時頼と謀って三浦氏を討った。また父の代より上野(こうずけ)(群馬県)、三河(愛知県)両国の守護人となっており、上野国では在地武士の被官化が進められていた。
[山本隆志]
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(五味文彦)
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?~1248.5.18
鎌倉前・中期の武士。父は盛長,母は比企尼(ひきのあま)の女。弥九郎と称する。父とともに源頼朝に仕える。1218年(建保6)秋田城介(じょうのすけ)となり,この職は以後安達氏の世襲となる。19年(承久元)将軍源実朝の死を機に出家し,覚智と号す。やがて高野山に登り,金剛三昧院を建立。執権北条経時・同時頼の外祖父として,高野山にいながらしばしば幕府政治にも関与。とくに時頼と子の義景に有力御家人三浦氏への警戒を説き,47年(宝治元)三浦氏を攻め滅ぼさせた(宝治合戦)。
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