日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
宋(中国、周代の諸侯国)
そう
中国、周代の諸侯国の一つ。子(し)姓。周公旦(しゅうこうたん)が武庚(ぶこう)の反乱平定後、殷(いん)王の紂(ちゅう)の庶兄の微子啓(びしけい)を殷の旧都商邱(しょうきゅう)(河南省商丘県)周辺の地に封じ、殷の遺民を治めさせたのに始まる。春秋時代初期には中原(ちゅうげん)の大国として栄え、襄公(じょうこう)のときには諸侯を会盟して覇者となろうとしたが、紀元前638年、楚(そ)と泓水(おうすい)に戦って大敗し、「宋襄(そうじょう)の仁(じん)」の侮りを後世に残した。その後、晋(しん)、楚の南北抗争の間にあって、しばしば楚に苦しめられた。一時、執政の華元(かげん)や向戌(しょうじゅつ)の主導のもとに宋で和平会議が行われて平穏を得たが、戦国時代になると国はますます衰えた。ただし、偃(えん)のとき王を称し、斉(せい)、楚、魏(ぎ)の三強国を破って領土を広げた。しかし、前286年、偃は逆にその三国連合軍に反撃されて殺され、国は滅んだ。
[江村治樹]
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