宍粟(市)(読み)しそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「宍粟(市)」の意味・わかりやすい解説

宍粟(市)
しそう

兵庫県中西部にある市。北西部を鳥取県・岡山県と接する。2005年(平成17)、宍粟郡山崎町(やまさきちょう)、一宮町(いちのみやちょう)、波賀町(はがちょう)、千種町(ちくさちょう)が合併して市制施行、宍粟市となる。市名は郡名による。市域の大部分は中国山地の支脈がなす山間地で、播磨灘(はりまなだ)に注ぐ揖保(いぼ)川の水源地帯。揖保川、および引原(ひきはら)川、伊沢(いさわ)川などの支流が山峡を南に流れ、南端部に狭小な山崎盆地が開ける。西端部は同じく播磨灘に注ぐ千種(ちくさ)川の最上流域。国道29号が南北に走り、これに交差して中央部を429号が、南端部を中国自動車道が通り、同自動車道の山崎インターチェンジがある。

 揖保川流域は早くから開け、上流右岸の一宮町三方町(みかたまち)では、縄文時代から中世にかけての大規模な集落跡である家原遺跡(えばらいせき)が発見された。引原川を合わせる中流域には『播磨国風土記』に播磨国でもっとも活躍する神として描かれる伊和(いわ)大神を祀る伊和神社が鎮座。近くにある伊和中山古墳群は、伊和大神を奉祀する伊和一族との関連が指摘される。伊和神社は、のちに播磨国一宮とされる。同社の南方には古代末期から中世にかけて、皇室領の石作(いしつくり)(石造)荘、柏野(かしわの)荘が成立。室町時代には播磨守護赤松氏の家臣宇野氏が両荘に勢力を伸ばす。宇野氏は戦国期には長水(ちょうずい)城を拠点とし、1580年(天正8)豊臣秀吉に滅ぼされるまで宍粟郡を支配したとみられる。1587年ごろに町立が行われた山崎の地に、1615年(元和1)姫路(ひめじ)藩主池田輝政の4男輝澄が宍粟郡3万8千石を与えられて入封し、山崎藩が成立。以後、山崎は城下町として発展した。千種川の流域は、古代より鉄の産地として知られた。中世には九条家領佐用(さよ)荘に含まれ、南北朝期には同荘から勢力を伸ばした赤松氏が千草鉄(宍粟鉄)を押えたとみられる。1488年(長享2)には将軍足利義尚の命令に応じて守護赤松政則が「千草鉄」20駄を運上している。千種川の流域には、たたら製鉄所跡など、中世以降、巷間に喧伝された千草鉄にかかわる遺跡も多い。

 地場産業は森林資源を利用した伝統のある木材・木工製品・家具等の生産。近年氷ノ山後山那岐山国定公園(ひょうのせんうしろやまなぎさんこくていこうえん)、音水(おんずい)ちくさ県立自然公園に指定される豊かな自然を活用した観光農林業振興にも力を入れ、ちくさ高原ネイチャーランド、フォレストステーション波賀などの施設がある。1527年(大永7)建立の御形神社(みかたじんじゃ)本殿は国指定重要文化財。面積658.54平方キロメートル、人口3万4819(2020)。

[編集部]


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