20世紀日本人名事典 「宮崎 湖処子」の解説
宮崎 湖処子
ミヤザキ コショシ
- 生年
- 元治1年9月20日(1864年)
- 没年
- 大正11(1922)年8月9日
- 出生地
- 築前国三奈木村(福岡県甘木市三奈木町)
- 本名
- 宮崎 八百吉(ミヤザキ ヤオキチ)
- 別名
- 別号=愛郷学人,西邱隠士,八面楼主人,高明学人など
- 学歴〔年〕
- 東京専門学校(現・早稲田大学)政治科〔明治20年〕卒
- 経歴
- 明治20年「日本情交之変遷」を刊行。21年東京経済雑誌に入り、「国民之友及び日本人」を連載、刊行。徳富蘇峰に認められ民友社に入社。23年「国民新聞」編集員となり、31年に退社するまで、多くの詩、小説、評論を発表。23年詩文集「帰省」を刊行。以後「湖処子詩集」「抒情詩」などで島崎藤村以前の抒情詩人の第一人者といわれる。31年受洗。38年電報新聞に入社、文学欄を担当。34年本郷森川町教会牧師となり、35年聖学院神学校設立と同時に教授に就任するが、38年退職した。他の作品に小説「故郷」「村落小記」「黒髪」、著書に「空屋」「白雲」「自然児」など。ワーズワースの最初の紹介者として知られる。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報