宮崎 龍介(読み)ミヤザキ リュウスケ

20世紀日本人名事典 「宮崎 龍介」の解説

宮崎 龍介
ミヤザキ リュウスケ

大正・昭和期の社会運動家,弁護士



生年
明治25(1892)年11月2日

没年
昭和46(1971)年1月23日

出生地
熊本県玉名郡荒尾町(現・荒尾市)

学歴〔年〕
東京帝大法学部法律学科〔大正9年〕卒

経歴
明治28年に上京し、13歳のとき初めて孫文に会う。その後、東大在学中に、父の影響を受けて2度中国に渡り事情を探査したが、大正8年には赤松克麿とともに東大に新人会をつくって大正デモクラシー運動の推進とアジア各国の独立運動への協力を始める。9年に「解放」の主幹をしていたとき炭鉱王伊藤伝右衛門の妻で歌人柳原白蓮に会って熱愛、駆け落ちまでして12年結婚した。白蓮が大正天皇の従妹であったため、この事件は右翼の攻撃の的ともなって話題を投げた。その後は社会民衆党、全国労農大衆党など無産政党で活動する一方、昭和4年には中野正剛と国民外交協会を設立、8年からは右翼的政治結社・東方会に属し、民族主義運動と中国問題に専念。12年7月には近衛文麿密使として蔣介石と会見することを計画したものの憲兵隊に逮捕されて挫折。戦後は弁護士となり、不戦運動、護憲運動や日中友好運動に従事した。31年孫文を記念する日本中山会を設立。著書に「対支外交論」があり、「宮崎滔天全集」の編集を行なった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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