家永 三郎(読み)イエナガ サブロウ

20世紀日本人名事典 「家永 三郎」の解説

家永 三郎
イエナガ サブロウ

昭和・平成期の歴史学者 東京教育大学名誉教授。



生年
大正2(1913)年9月3日

没年
平成14(2002)年11月29日

出生地
愛知県名古屋市

学歴〔年〕
東京帝国大学文学部国史学科〔昭和12年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和25年〕

主な受賞名〔年〕
日本学士院賞恩賜賞〔昭和23年〕「上代倭絵年表」「上代倭絵全史」

経歴
新潟高校教授を経て、昭和19年東京高等師範教授、24年東京教育大学(現・筑波大学)教授。52年定年退官後、中央大学教授。59年退職。実証主義の歴史家として知られ、21年「上代倭絵全史」をはじめ「上代仏教思想史研究」「日本道徳思想史」などの業績がある。占領初期には連合国軍総司令部(GHQ)の指導で進められた国定教科書「くにのあゆみ」編集委員を務めた。27年から高校教科書「新日本史」(三省堂)を執筆。37年度検定で不合格となり、38年度検定では大幅修正で合格となったため、教科書検定を“表現の自由の侵害”“教育への国家の干渉”として憲法違反を主張し、40年国家賠償請求訴訟(第1次訴訟)を起こす。42年には不合格取り消し措置に対し第2次訴訟を、59年には“’80年代検定”を対象に第3次訴訟を起こす(家永教科書訴訟)。一連の裁判で1次訴訟は最高裁上告却下となり敗訴が確定。2次訴訟は1審・2審勝訴、3審で差し戻され、東京高裁で請求却下が確定。3次訴訟は検定制度自体は合憲としながらも1審で1ケ所、控訴審理で3ケ所、上告審で4ケ所の検定意見の違法が認められ、“一部勝訴”が確定し、平成9年8月、32年に及ぶ戦後最大級の教育裁判が終結した。これを機に教科書の執筆から退くが、歴史教育の現状に与えた影響は大きく、文部省(当時)は検定制度見直しを迫られ、簡素化を中心にした平成元年の制度の全面改定につながった。他の著書に「日本思想史に於ける否定の論理発達」「日本近代憲法思想史研究」「植木枝盛研究」「教科書裁判」「太平洋戦争」「戦争責任」、「一歴史学者の歩み」、小説「真城子」、戯曲「新編上宮太子未来記」などがある。訴訟関係の記録は全て東京都立大学に寄贈し、保存されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「家永 三郎」の解説

家永 三郎 (いえなが さぶろう)

生年月日:1913年9月3日
昭和時代;平成時代の歴史学者
2002年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android