宿場/五街道宿駅一覧(読み)しゅくばごかいどうしゅくえきいちらん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宿場/五街道宿駅一覧
しゅくばごかいどうしゅくえきいちらん

江戸時代の五街道の全宿駅を、江戸を起点に各終点に至る順に掲出した。
〔1〕所在地(現在地名)
〔2〕江戸・日本橋からの距離
〔3〕宿の規模。家数はその宿場の総家数で、次の本陣・脇(わき)本陣・旅籠(はたご)屋の数を含む。
 〔1〕~〔3〕は児玉幸多校訂『近世交通史料集』所収の「宿村大概帳」(大部分は1843年=天保14年の調査、以降の分も若干ある)による。
〔東海道〕
品川(しながわ)
〔所在地〕武蔵(むさし)国荏原(えばら)郡(東京都品川区北品川1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕2里
〔宿の規模〕家数1561軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋93
〔宿の特徴〕東海道第一番目の宿場。北品川宿、歩行(かち)新宿、南品川宿に分かれていた。また品川港は天下第一の巨港ともよばれ、海陸とも江戸への入口としてにぎわった。品川女郎を置く旅籠屋も多く、江戸四宿の一つとして栄えた。
川崎(かわさき)
〔所在地〕武蔵国橘樹(たちばな)郡(神奈川県川崎市川崎区本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕4里18町
〔宿の規模〕家数541軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋72
〔宿の特徴〕品川からは六郷川(多摩川)を渡ってすぐの宿場。川は初め渡舟、のちに六郷橋が架けられた。川崎大師平間(へいけん)寺への参詣(さんけい)客でにぎわった。
神奈川(かながわ)
〔所在地〕武蔵国橘樹郡(神奈川県横浜市神奈川区神奈川本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕7里
〔宿の規模〕家数1341軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋58
〔宿の特徴〕海に臨む高地にあり、神奈川の台ともよばれていた。江戸、房総半島、三浦半島を眺望できる景勝地。漁師町でもあった。
保土ケ谷(ほどがや)
〔所在地〕武蔵国橘樹郡(神奈川県横浜市保土ケ谷区保土ケ谷町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕8里9町
〔宿の規模〕家数558軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋67
〔宿の特徴〕三浦半島の金沢などへ通ずる金沢(かねさわ)道に分かれる。
戸塚(とつか)
〔所在地〕相模(さがみ)国鎌倉郡(神奈川県横浜市戸塚区戸塚町)
〔江戸・日本橋からの距離〕10里18町
〔宿の規模〕家数613軒、本陣2、脇本陣3、旅籠屋75
〔宿の特徴〕相模国に入っての第一番目の宿場で、ここから鎌倉道を通って鎌倉までは約2里。
藤沢(ふじさわ)
〔所在地〕相模国鎌倉郡・高座(こうざ)郡(神奈川県藤沢市本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕12里18町
〔宿の規模〕家数919軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋45
〔宿の特徴〕現藤沢市内を流れる境川を挟んで、東の鎌倉郡大鋸(だいぎり)町と西の高座郡大久保町、坂戸町をあわせて藤沢宿となった。近くに時宗(じしゅう)の総本山清浄光(しょうじょうこう)寺(俗称遊行(ゆぎょう)寺)があり、南には江の島弁天から鎌倉へ行く道がある。
平塚(ひらつか)
〔所在地〕相模国大住(おおすみ)郡(神奈川県平塚市平塚など)
〔江戸・日本橋からの距離〕16里
〔宿の規模〕家数443軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋54
〔宿の特徴〕もとは平塚村のみが宿場だったが、1651年(慶安4)に八幡(やわた)新宿(平塚新宿)が加宿された。八幡新宿にある平塚八幡宮(はちまんぐう)は相模国五宮(ごのみや)といわれ、東海道に面する参道には年の市(いち)が立ってにぎわった。
大磯(おおいそ)
〔所在地〕相模国淘綾(ゆるぎ)郡(神奈川県中郡大磯町大磯など)
〔江戸・日本橋からの距離〕16里27町
〔宿の規模〕家数676軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠屋66
〔宿の特徴〕『吾妻鏡(あづまかがみ)』にも遊君を置く宿場としてその名がみえる。江戸時代には大磯町とも称し、商業地としても栄えた。近くに天台宗の古刹(こさつ)高麗(こうらい)寺があった。
小田原(おだわら)
〔所在地〕相模国足柄下(あしがらしも)郡(神奈川県小田原市本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕20里27町
〔宿の規模〕家数1542軒、本陣4、脇本陣4、旅籠屋95
〔宿の特徴〕戦国大名後北条(ごほうじょう)氏の居城小田原城の城下町として発展した町で、江戸時代になっても小田原藩の藩政の中心地であった。宿場は城下の町人町に置かれた。小田原宿名物の外郎(ういろう)薬や提灯(ちょうちん)が有名。北の甲州街道や南の熱海(あたみ)道が分かれる。
箱根(はこね)
〔所在地〕相模国足柄下郡(神奈川県足柄下郡箱根町箱根)
〔江戸・日本橋からの距離〕24里35町
〔宿の規模〕家数197軒、本陣6、脇本陣1、旅籠屋36
〔宿の特徴〕1618年(元和4)に小田原宿と三島宿から各50軒ずつを移して設置された宿場で、翌年箱根関所が設けられた。箱根八里は東海道最大の難所で、幕府はここを江戸防護の関門とした。
三島(みしま)
〔所在地〕伊豆国君沢(くんたく)郡(静岡県三島市本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕28里27町
〔宿の規模〕家数1025軒、本陣2、脇本陣3、旅籠屋74
〔宿の特徴〕三島は古代に伊豆国府が置かれていた地で、武将に崇敬の厚い三嶋(みしま)大社がある。江戸時代には東海道有数の大宿であった。宿の町並みは、東方新町橋から西方の茅町(かやまち)まで約2キロメートルに及んだ。
沼津(ぬまづ)
〔所在地〕駿河(するが)国駿東(すんとう)郡(静岡県沼津市本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕30里9町
〔宿の規模〕家数1234軒、本陣3、脇本陣1、旅籠屋55
〔宿の特徴〕狩野(かの)川の河口に開けた地で、室町時代に後北条氏の城がつくられて城下町として発達。宿は、本(ほん)、上土(あげつち)、三枚橋(さんまいばし)からなる。沼津藩の城下町。
(はら)
〔所在地〕駿河国駿東郡(静岡県沼津市原など)
〔江戸・日本橋からの距離〕31里27町
〔宿の規模〕家数398軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕鎌倉時代から原中(はらなか)宿として東海道の宿場町だった。沼津宿からわずか1里半、東海道中最小規模の宿場。
吉原(よしわら)
〔所在地〕駿河国富士郡(静岡県富士市吉原1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕34里27町22間
〔宿の規模〕家数653軒、本陣2、脇本陣3、旅籠屋60
〔宿の特徴〕戦国期に駿河の吉原港として栄えたのは元吉原(富士市今井)の地で、江戸初期には吉原宿もそこに営まれた。西方の潤井(うるい)川の氾濫(はんらん)や津波のため二度その位置を変えたが、1681年(天和1)現在地に定められた。
蒲原(かんばら)
〔所在地〕駿河国庵原(いはら)郡(静岡県静岡市清水区蒲原1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕37里21町45間
〔宿の規模〕家数509軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋42
〔宿の特徴〕富士川河口の右岸にある宿場で、平安時代に蒲原駅(うまや)が設けられていた地。山部赤人(やまべのあかひと)の歌で有名な田子(たご)ノ浦はもともとこの付近の浦をさす。
由比(ゆい)
〔所在地〕駿河国庵原郡(静岡県静岡市清水区由比)
〔江戸・日本橋からの距離〕38里21町45間
〔宿の規模〕家数160軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋32
〔宿の特徴〕中世以来の東海道の宿場で、海辺に臨んで細長い町並みが形成されていた。薩(さった)峠の手前。
興津(おきつ)
〔所在地〕駿河国庵原郡(静岡県静岡市清水区興津本町)
〔江戸・日本橋からの距離〕40里33町45間
〔宿の規模〕家数316軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋34
〔宿の特徴〕平安時代に息津(おきつ)駅が置かれ、鎌倉時代から戦国時代にも興津宿として東海道の要所であった。清見(きよみ)潟に臨む清見関(きよみがせき)は古代東海道の関所。近くに清見(せいけん)寺がある。
江尻(えじり)
〔所在地〕駿河国庵原郡(静岡県静岡市清水区江尻町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕41里35町45間
〔宿の規模〕家数1340軒、本陣2、脇本陣3、旅籠屋50
〔宿の特徴〕中世以来の宿場町で、江尻津(港)もあり陸海の要所として栄えた。江尻津は江戸時代に清水港と名を変え、今日に及んでいる。江尻からは三保松原(みほのまつばら)が近い。久能山(くのうざん)への道が分かれる。
府中(ふちゅう)
〔所在地〕駿河国安倍(あべ)郡(静岡県静岡市葵区伝馬(てんま)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕44里24町45間
〔宿の規模〕家数3673軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋43
〔宿の特徴〕駿河国府のあった所で駿府(すんぷ)ともいう。西方に安倍川があり、安倍川餅(もち)は土産(みやげ)物として江戸時代から有名。また川に近い安倍川町は遊女町で、のち江戸に移って吉原をおこした。駿府城があり、城代や町奉行(ぶぎょう)が置かれた。
丸子(まりこ)
〔所在地〕駿河国有度(うど)郡(静岡県静岡市駿河区丸子7丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕46里4町45間
〔宿の規模〕家数211軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋24
〔宿の特徴〕中世以来の宿場。とろろ汁が名物。近くに吐月峰(とげっぽう)がある。
岡部(おかべ)
〔所在地〕駿河国志太(しだ)郡(静岡県藤枝(ふじえだ)市岡部町岡部)
〔江戸・日本橋からの距離〕48里4町45間
〔宿の規模〕家数487軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋27
〔宿の特徴〕朝比奈(あさひな)川左岸に位置する。丸子と当宿の間には、平安時代から難所として知られた宇津ノ谷(うつのや)峠があり、十団子(とおだんご)が名物。
藤枝(ふじえだ)
〔所在地〕駿河国志太郡(静岡県藤枝市藤枝3丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕49里30町45間
〔宿の規模〕家数1061軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋37
〔宿の特徴〕鎌倉時代以来、市(いち)の立つ宿場として開け、江戸時代には南方の田中城の城下町としても発展し、商業地としても栄えた。
島田(しまだ)
〔所在地〕駿河国志太郡(静岡県島田市本通など)
〔江戸・日本橋からの距離〕52里2町45間
〔宿の規模〕家数1461軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠屋48
〔宿の特徴〕島田は大井川の東岸の宿場。幕府は江戸防衛のため、大井川には架橋・渡船を禁止し、川人足による渡渉のみとした。このため、増水による川留(かわどめ)によって旅人は両岸の島田、金谷(かなや)両宿、ときにはその前後の宿場に足止めされることもあった。島田側の川畔には国指定史跡大井川川越遺跡(川会所(かわかいしょ)跡)がある。
金谷(かなや)
〔所在地〕遠江(とおとうみ)国榛原(はいばら)郡(静岡県島田市金谷)
〔江戸・日本橋からの距離〕53里2町45間
〔宿の規模〕家数1004軒、本陣3、脇本陣1、旅籠屋51
〔宿の特徴〕駿河と遠江とを分ける大井川の西岸にあり、島田と同様大井川越えの宿場としてにぎわった。
日坂(にっさか)
〔所在地〕遠江国佐野(さや)郡(静岡県掛川(かけがわ)市日坂)
〔江戸・日本橋からの距離〕54里26町45間
〔宿の規模〕家数168軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋33
〔宿の特徴〕金谷との間にある峠、小夜(さよ)ノ中山は東海道筋の有名な難所で、夜泣石(よなきいし)の伝説で知られる。
掛川(かけがわ)
〔所在地〕遠江国佐野郡(静岡県掛川市掛川など)
〔江戸・日本橋からの距離〕56里19町45間
〔宿の規模〕家数960軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋30
〔宿の特徴〕室町時代以来の城下町で、江戸初期に山内一豊(かずとよ)が城下を整備。いまも当時の風情を残す。葛布(くずふ)が特産。
袋井(ふくろい)
〔所在地〕遠江国山名(やまな)郡(静岡県袋井市袋井)
〔江戸・日本橋からの距離〕58里35町45間
〔宿の規模〕家数195軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠屋50
〔宿の特徴〕他の宿場よりすこし遅れて設置。袋井市内には、遠州三山とよばれる曹洞(そうとう)宗可睡斎(かすいさい)、高野山(こうやさん)真言宗法多山(はったさん)尊永(そんえい)寺、真言宗智山(ちさん)派油山(ゆさん)寺がある。
見附(みつけ)
〔所在地〕遠江国磐田(いわた)郡(静岡県磐田市見付など)
〔江戸・日本橋からの距離〕60里17町45間
〔宿の規模〕家数1029軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋56
〔宿の特徴〕東海道のほぼ中間にあたる。古代以来、遠江国府が置かれ、中世からの宿場町。当宿と次の浜松との間に天竜川が流れ、渡船があった。
浜松(はままつ)
〔所在地〕遠江国敷地(ふち)郡(静岡県浜松市中区伝馬(てんま)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕64里24町45間
〔宿の規模〕家数1622軒、本陣6、脇本陣なし、旅籠屋94
〔宿の特徴〕徳川家康以来の城下町として発展。本坂(ほんさか)道が分かれ、秋葉山、鳳来(ほうらい)寺へも行く。
舞坂(まいさか)
〔所在地〕遠江国敷地郡(静岡県浜松市西区舞阪町舞阪など)
〔江戸・日本橋からの距離〕67里16町45間
〔宿の規模〕家数541軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋28
〔宿の特徴〕浜名湖の湖口東岸にある。対岸の新居(あらい)(今切(いまぎれ))関所までは渡船であった。
新居(あらい)
〔所在地〕遠江国敷地郡(静岡県湖西(こさい)市新居町新居など)
〔江戸・日本橋からの距離〕68里34町45間
〔宿の規模〕家数797軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠屋26
〔宿の特徴〕新居関所は浜名湖西岸に設置。宿場はその西にあった。鎌倉時代の橋本の宿は隣接村。
白須賀(しらすか)
〔所在地〕遠江国浜名郡(静岡県湖西(こさい)市白須賀)
〔江戸・日本橋からの距離〕70里22町45間
〔宿の規模〕家数613軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋27
〔宿の特徴〕二川(ふたかわ)宿との間に境川があり、三河との国境。
二川(ふたかわ)
〔所在地〕三河国渥美(あつみ)郡(愛知県豊橋(とよはし)市二川町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕72里3町45間
〔宿の規模〕家数328軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋38
〔宿の特徴〕三河国のはずれにある小宿場。
吉田(よしだ)
〔所在地〕三河国渥美郡(愛知県豊橋市札木(ふだき)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕73里23町45間
〔宿の規模〕家数1293軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋65
〔宿の特徴〕三河湾に注ぐ豊川の東岸にある町で、三河国府にも近く、室町時代以来、三河国東部随一の町場であった。豊川も昔は吉田川とよばれ、架かる橋は東海道の大橋の一つで吉田橋といい、長さは120間あった。その橋際から、伊勢(いせ)参宮船や江戸廻船(かいせん)も出た。北方に豊川稲荷(とよかわいなり)がある。
御油(ごゆ)
〔所在地〕三河国宝飯(ほい)郡(愛知県豊川市御油町)
〔江戸・日本橋からの距離〕76里9町45間
〔宿の規模〕家数316軒、本陣4、脇本陣なし、旅籠屋62
〔宿の特徴〕浜松より分かれて浜名湖の北岸を通る本坂道は、気賀(けが)、三ヶ日、嵩山(すせ)の3宿を経て御油に出る。気賀には関所があった。この宿から鳳来寺、秋葉山へも行く道があり、浜松に出ないで、掛川へ出る人も多かった。赤坂まで16町。
赤坂(あかさか)
〔所在地〕三河国宝飯郡(愛知県豊川市赤坂町)
〔江戸・日本橋からの距離〕76里25町45間
〔宿の規模〕家数349軒、本陣3、脇本陣1、旅籠屋62
〔宿の特徴〕古くからの宿場で、ここの遊女は有名。
藤川(ふじかわ)
〔所在地〕三河国額田(ぬかた)郡(愛知県岡崎市藤川町)
〔江戸・日本橋からの距離〕78里34町45間
〔宿の規模〕家数302軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋36
岡崎(おかざき)
〔所在地〕三河国額田郡(愛知県岡崎市伝馬通(てんまどおり)1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕80里23町45間
〔宿の規模〕家数1565軒、本陣3、脇本陣3、旅籠屋112
〔宿の特徴〕東海道中第一級の宿場。徳川家(松平氏)の本貫(ほんがん)地で、岡崎城下に発展した商業地でもある。徳川家の菩提寺(ぼだいじ)、大樹(だいじゅ)寺をはじめ多くの古寺名刹がある。また町の西側を流れる矢作(やはぎ)川には長さ156間の東海道第一の橋、矢作橋が架けられていた。
池鯉鮒(ちりゅう)
〔所在地〕三河国碧海(へきかい)郡(愛知県知立(ちりゅう)市本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕84里17町7間
〔宿の規模〕家数292軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋35
〔宿の特徴〕知立神社は三河国二宮。4月に馬市(いち)が立った。
鳴海(なるみ)
〔所在地〕尾張(おわり)国愛知郡(愛知県名古屋市緑区鳴海町)
〔江戸・日本橋からの距離〕87里11町7間
〔宿の規模〕家数847軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋68
〔宿の特徴〕尾張国最初の宿場。海辺の村鳴海は、鳴海潟として中古の和歌の題材となった。鳴海絞りが名産。
熱田(あつた)
〔所在地〕尾張国愛知郡(愛知県名古屋市熱田区伝馬(てんま)1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕88里35町7間
〔宿の規模〕家数2924軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋248
〔宿の特徴〕宮(みや)の宿ともいった。熱田は熱田神宮の門前町として古代から栄えた。近世には名古屋城の入口であり、また宮の渡しを擁する港町でもあった。宮の渡しは七里の渡しともいい、桑名宿までの海上の道。伊勢参宮の人々でも大いににぎわった。美濃(みの)路の分岐点。
桑名(くわな)
〔所在地〕伊勢国桑名郡(三重県桑名市伝馬(てんま)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕95里35町7間
〔宿の規模〕家数2544軒、本陣2、脇本陣4、旅籠屋120
〔宿の特徴〕宮の渡しの駅であり、桑名城の城下町でもあった。また尾張国津島や伊勢国津、松坂とを結ぶ水上交通の要地として、中世以来重要な港湾都市であった。熱田から佐屋路を通っても本宿にくる。
四日市(よっかいち)
〔所在地〕伊勢国三重郡(三重県四日市市北町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕99里7町7間
〔宿の規模〕家数1811軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋98
〔宿の特徴〕当宿から宮の渡しまでの10里を渡海することもできた。伊勢参宮路はすぐ先で分岐。四日市は古くからの港町で、1560年(永禄3)に六斎市(ろくさいいち)が毎月4の日に開かれるようになり命名。
石薬師(いしやくし)
〔所在地〕伊勢国鈴鹿(すずか)郡(三重県鈴鹿市石薬師町)
〔江戸・日本橋からの距離〕101里34町7間
〔宿の規模〕家数241軒、本陣3、脇本陣なし、旅籠屋15
〔宿の特徴〕真言宗東寺派の古刹石薬師寺(旧称西福(さいふく)寺)にちなんだ地名。
庄野(しょうの)
〔所在地〕伊勢国鈴鹿郡(三重県鈴鹿市庄野町)
〔江戸・日本橋からの距離〕102里23町7間
〔宿の規模〕家数211軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋15
〔宿の特徴〕握りこぶし大の小俵(こだわら)に入った焼き米が土産(みやげ)として有名だった。
亀山(かめやま)
〔所在地〕伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市東町・西町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕104里23町7間
〔宿の規模〕家数567軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋21
〔宿の特徴〕戦国時代からの亀山城下の町。亀山市の西の外れに、いまも一里塚が残る。
(せき)
〔所在地〕伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市関町中町)
〔江戸・日本橋からの距離〕106里5町7間
〔宿の規模〕家数632軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋42
〔宿の特徴〕ここから伊勢街道が南へ分かれる。関の地蔵で知られる真言宗地蔵院がある。旧観を残し、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
坂下(さかした)
〔所在地〕伊勢国鈴鹿郡(三重県亀山市関町坂下)
〔江戸・日本橋からの距離〕107里29町7間
〔宿の規模〕家数153軒、本陣3、脇本陣1、旅籠屋48
〔宿の特徴〕近江(おうみ)との国境にある鈴鹿峠の麓(ふもと)にある。関宿から坂下宿、鈴鹿峠を経て土山宿に至る道は険しく、箱根越えに次ぐ難所とされた。
土山(つちやま)
〔所在地〕近江(おうみ)国甲賀(こうか)郡(滋賀県甲賀市土山町北土山・南土山)
〔江戸・日本橋からの距離〕110里11町7間
〔宿の規模〕家数351軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋44
〔宿の特徴〕鈴鹿峠寄りに、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を祀(まつ)る田村神社がある。そばが名物だった。
水口(みなくち)
〔所在地〕近江国甲賀郡(滋賀県甲賀市水口町水口など)
〔江戸・日本橋からの距離〕113里7間
〔宿の規模〕家数692軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋41
〔宿の特徴〕近江南部における商業流通の要(かなめ)であった。
石部(いしべ)
〔所在地〕近江国甲賀郡(滋賀県湖南市石部など)
〔江戸・日本橋からの距離〕116里18町7間
〔宿の規模〕家数458軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋32
〔宿の特徴〕古代の東海道が通り、江戸時代後期には12町あった。
草津(くさつ)
〔所在地〕近江国栗太(くりた)郡(滋賀県草津市草津1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕119里18町1間
〔宿の規模〕家数586軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋72
〔宿の特徴〕中山道(なかせんどう)と交わる宿場として古くから栄えた。
大津(おおつ)
〔所在地〕近江国滋賀郡(滋賀県大津市京町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕123里6町1間
〔宿の規模〕家数3650軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋71
〔宿の特徴〕陸路草津から瀬田(せた)川(宇治川)を渡ると東海道最後の宿場大津に着く。琵琶(びわ)湖の最南端に臨む古代以来の町場。逢坂(おうさか)峠、日ノ岡峠を越えて入る。途中で伏見(ふしみ)へ行く道が分かれる。伏見から大坂へ行く道も東海道の一部。
伏見(ふしみ)
〔所在地〕山城(やましろ)国紀伊郡(京都府京都市伏見区南浜(みなみはま)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕127里14町7間
〔宿の規模〕家数6245軒、本陣4、脇本陣2、旅籠屋39
〔宿の特徴〕京都の南側、宇治川に沿う宿場町で、もともと京と奈良を結ぶ中継地。また宇治川の河港として、京と大坂をつないでいた。
(よど)
〔所在地〕山城国紀伊・久世(くぜ)郡(京都府京都市伏見区淀本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕128里28町1間
〔宿の規模〕家数836軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋16
〔宿の特徴〕桂(かつら)川、宇治川、木津川が合流し淀川本流をなす地点にある津で、古代から近世に至るまで京都への西国からの入口。城下町。
枚方(ひらかた)
〔所在地〕河内(かわち)国茨田(まつた)郡(大阪府枚方市枚方元町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕132里4町1間
〔宿の規模〕家数378軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋69
〔宿の特徴〕大坂方面から京に上る旅客がほとんどの片宿。
守口(もりぐち)
〔所在地〕河内国茨田郡(大阪府守口市本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕135里4町1間
〔宿の規模〕家数177軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋27
〔宿の特徴〕東海道最後の宿場だが、大坂へはわずか2里で、宿場町としてはほとんど発達しなかった。
〔中山道〕
板橋(いたばし)
〔所在地〕武蔵(むさし)国豊島(としま)郡(東京都板橋区板橋1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕2里18町
〔宿の規模〕家数573軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋54
〔宿の特徴〕江戸四宿の一つ。下板橋宿ともいった。戸田川(入間(いるま)川ともいい、現荒(あら)川)には舟渡しがあったが、大雨のときは渡れず、下流の千住(せんじゅ)大橋を利用した。
(わらび)
〔所在地〕武蔵国足立(あだち)郡(埼玉県蕨市錦町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕4里28町
〔宿の規模〕家数430軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋23
浦和(うらわ)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県さいたま市浦和区仲町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕6里6町
〔宿の規模〕家数273軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋15
〔宿の特徴〕現在は埼玉県の県庁所在地だが、宿場としては小規模だった。真言宗豊山派の古刹(こさつ)玉蔵(ぎょくぞう)院がある。
大宮(おおみや)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県さいたま市大宮区大門町(だいもんちょう)など)
〔江戸・日本橋からの距離〕7里16町
〔宿の規模〕家数319軒、本陣1、脇本陣9、旅籠屋25
〔宿の特徴〕武蔵国一宮(いちのみや)とされる氷川(ひかわ)神社があり、地名もそれにちなむ。
上尾(あげお)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県上尾市上尾宿など)
〔江戸・日本橋からの距離〕9里16町
〔宿の規模〕家数182軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋41
〔宿の特徴〕中世以来の古い宿場。
桶川(おけがわ)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県桶川市南(みなみ)1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕10里14町
〔宿の規模〕家数347軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋36
〔宿の特徴〕紅花を原料とする口紅「桶川臙脂(えんじ)」が特産品。
鴻巣(こうのす)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県鴻巣市鴻巣など)
〔江戸・日本橋からの距離〕12里8町
〔宿の規模〕家数566軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋58
〔宿の特徴〕忍(おし)城下を抜けて日光へ至る日光裏街道との分岐点にあたることから、流通の要地として栄えた。中世までは南方の北本(きたもと)市辺に宿場があったが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)にこの地に移し、鴻巣宿とよんだ。
熊谷(くまがや)
〔所在地〕武蔵国大里郡(埼玉県熊谷市本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕16里14町40間
〔宿の規模〕家数1075軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋19
〔宿の特徴〕秩父(ちちぶ)街道の分岐点でもあって栄えた。熊谷直実(くまがいなおざね)ゆかりの熊谷(ゆうこく)寺(浄土宗)があり、宿場はその門前に発達した。
深谷(ふかや)
〔所在地〕武蔵国榛沢(はんざわ)郡(埼玉県深谷市深谷町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕19里5町40間
〔宿の規模〕家数524軒、本陣1、脇本陣4、旅籠屋80
〔宿の特徴〕戦国時代に上杉氏が深谷城を築いて発達した。江戸時代は中山道有数の宿場町として栄え、遊女屋なども置かれていた。
本庄(ほんじょう)
〔所在地〕武蔵国児玉(こだま)郡(埼玉県本庄市本庄1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕21里30町40間
〔宿の規模〕家数1212軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋70
〔宿の特徴〕戦国時代の本庄城の城下町。木曽御嶽(きそおんたけ)信仰の教祖普寛(ふかん)行者を祀(まつ)る普寛堂がある。
新町(しんまち)
〔所在地〕上野(こうずけ)国緑野(みどの)郡(群馬県高崎市新町)
〔江戸・日本橋からの距離〕23里30町40間
〔宿の規模〕家数407軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋43
〔宿の特徴〕もと上宿(落合村)と下宿(笛木村)の2宿があり、1654年(承応3)新町宿となる。
倉賀野(くらがの)
〔所在地〕上野国群馬郡(群馬県高崎市倉賀野町)
〔江戸・日本橋からの距離〕25里12町40間
〔宿の規模〕家数297軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋32
〔宿の特徴〕烏川沿いの宿場で、河岸(かし)もあった。この倉賀野河岸は利根(とね)川水運の最上流にあたり、上信越の廻米(かいまい)輸送の要衝でもあった。
高崎(たかさき)
〔所在地〕上野国群馬郡(群馬県高崎市田町(たまち)・本町(もとまち)など)
〔江戸・日本橋からの距離〕26里31町40間
〔宿の規模〕家数837軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋15
〔宿の特徴〕上野国における商業流通の中心として栄え、三国(みくに)街道、草津街道、伊香保(いかほ)街道、富岡・下仁田(しもにた)より信州への道の分岐点であった。城下町。
板鼻(いたはな)
〔所在地〕上野国碓氷(うすい)郡(群馬県安中(あんなか)市板鼻1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕28里25町40間
〔宿の規模〕家数312軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋54
〔宿の特徴〕碓氷川渡船場の手前にあるため、川留(かわどめ)に備えて旅籠が多かった。飯盛女(めしもりおんな)も多数いた。
安中(あんなか)
〔所在地〕上野国碓氷郡(群馬県安中市安中3丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕29里19町40間
〔宿の規模〕家数64軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋17
〔宿の特徴〕九十九(つくも)川と碓氷川との合流点にある。城下町。
松井田(まついだ)
〔所在地〕上野国碓氷郡(群馬県安中市松井田町松井田)
〔江戸・日本橋からの距離〕31里35町40間
〔宿の規模〕家数252軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋14
〔宿の特徴〕妙義山への登山口であり、また小幡・吉井への道も通じていた。
坂本(さかもと)
〔所在地〕上野国碓氷郡(群馬県安中市松井田町坂本)
〔江戸・日本橋からの距離〕34里14町47間
〔宿の規模〕家数162軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋40
〔宿の特徴〕松井田宿との間に碓氷関所が置かれていた。西は碓氷峠で、中山道道中の難所の一つ。峠は上野国と信濃(しなの)国との境で、両国にまたがって古社熊野神社がある。
軽井沢(かるいざわ)
〔所在地〕信濃国佐久(さく)郡(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢)
〔江戸・日本橋からの距離〕37里13町14間
〔宿の規模〕家数119軒、本陣1、脇本陣4、旅籠屋21
〔宿の特徴〕西から碓氷峠を越える人の泊まる宿場としてにぎわった。
沓掛(くつかけ)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県北佐久郡軽井沢町中軽井沢)
〔江戸・日本橋からの距離〕38里18町14間
〔宿の規模〕家数166軒、本陣1、脇本陣3、旅籠屋17
〔宿の特徴〕ここから草津道、大笹(おおざさ)道や、姫街道とよばれる下仁田(しもにた)道が分かれている。
追分(おいわけ)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県北佐久郡軽井沢町追分)
〔江戸・日本橋からの距離〕39里21町14間
〔宿の規模〕家数103軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋35
〔宿の特徴〕中山道と北国(ほっこく)脇往還の分岐点にあたるため追分とよばれた。飯盛女がとくに多く、明治期に至っても芸娼妓として続いた。
小田井(おたい)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県北佐久郡御代田(みよた)町小田井など)
〔江戸・日本橋からの距離〕40里31町14間
〔宿の規模〕家数107軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋5
岩村田(いわむらだ)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県佐久市岩村田)
〔江戸・日本橋からの距離〕42里2町14間
〔宿の規模〕家数350軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋8
〔宿の特徴〕佐久の雄族大井氏の大井城(県史跡)がある。
塩名田(しおなだ)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県佐久市塩名田)
〔江戸・日本橋からの距離〕43里13町14間
〔宿の規模〕家数116軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋7
〔宿の特徴〕千曲(ちくま)川を渡る千曲川往還橋の東詰の宿場。この橋はたびたび流失し、渡船を用いたり、舟橋を架けたりしたときもあった。
八幡(やわた)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県佐久市八幡など)
〔江戸・日本橋からの距離〕44里4町14間
〔宿の規模〕家数143軒、本陣1、脇本陣4、旅籠屋3
〔宿の特徴〕佐久の豪族望月(もちづき)氏が崇敬した八幡(はちまん)神社がある。
望月(もちづき)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県佐久市望月)
〔江戸・日本橋からの距離〕45里14間
〔宿の規模〕家数82軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋9
〔宿の特徴〕古代以来開けた土地で、中世望月氏の根拠地でもあった。
芦田(あした)
〔所在地〕信濃国佐久郡(長野県北佐久郡立科(たてしな)町芦田)
〔江戸・日本橋からの距離〕46里8町14間
〔宿の規模〕家数80軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋6
〔宿の特徴〕中世の城館芦田城跡がある。
長窪(ながくぼ)
〔所在地〕信濃国小県(ちいさがた)郡(長野県小県郡長和(ながわ)町長久保)
〔江戸・日本橋からの距離〕47里24町14間
〔宿の規模〕家数187軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋43
〔宿の特徴〕佐久と小県の郡境にあたる笠取(かさとり)峠を越えた地で、依田(よだ)川の東岸にある小宿場。
和田(わだ)
〔所在地〕信濃国小県郡(長野県小県郡長和町和田)
〔江戸・日本橋からの距離〕49里24町14間
〔宿の規模〕家数126軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋28
〔宿の特徴〕諏訪(すわ)へ抜けるために標高1531メートルの和田峠を越える。中山道最大の難所とされ、和田宿はその麓(ふもと)の宿場としてにぎわった。
下諏訪(しもすわ)
〔所在地〕信濃国諏訪郡(長野県諏訪郡下諏訪町横町・湯田(ゆだ)町)
〔江戸・日本橋からの距離〕55里6町14間
〔宿の規模〕家数315軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋40
〔宿の特徴〕甲州街道の終点でもある。和田峠、塩尻(しおじり)峠を控え、豊富な温泉と美しい諏訪湖などの景勝地にも恵まれていたので、宿泊客も多かった。近くに諏訪下社があり、中世以来南信濃地方の政治的中心。
塩尻(しおじり)
〔所在地〕信濃国筑摩(ちくま)郡(長野県塩尻市塩尻町)
〔江戸・日本橋からの距離〕58里3町14間
〔宿の規模〕家数166軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋75
〔宿の特徴〕室町時代以来の宿場町。1601年(慶長6)に整備された最初の中山道では、下諏訪から小野(おの)を通って牛首(うしくび)峠越えで木曽(きそ)に出た。1616年(元和2)ごろに、塩尻峠越えで塩尻に出る道に変更された。
洗馬(せば)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県塩尻市宗賀(そうが)
〔江戸・日本橋からの距離〕59里33町14間
〔宿の規模〕家数163軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋29
〔宿の特徴〕善光寺道の分岐点である。
本山(もとやま)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県塩尻市宗賀)
〔江戸・日本橋からの距離〕60里27町14間
〔宿の規模〕家数117軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋34
〔宿の特徴〕木曽路への入口で松本藩の口留番所(くちどめばんしょ)が置かれた。
贄川(にえかわ)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県塩尻市贄川)
〔江戸・日本橋からの距離〕62里27町14間
〔宿の規模〕家数124軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕ここから馬籠(まごめ)まで11宿が木曽路。
奈良井(ならい)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県塩尻市奈良井)
〔江戸・日本橋からの距離〕64里22町14間
〔宿の規模〕家数409軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋5
〔宿の特徴〕人家が多く、檜物師(ひものし)、塗師(ぬし)などの職人が集住。旧観を残し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
藪原(やぶはら)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡木祖(きそ)村藪原)
〔江戸・日本橋からの距離〕65里35町14間
〔宿の規模〕家数266軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋10
〔宿の特徴〕野麦(のむぎ)峠、安房(あぼう)峠への道の分岐点。お六櫛(ぐし)の産地。
宮越(みやのこし)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡木曽町日義(ひよし)
〔江戸・日本橋からの距離〕67里32町14間
〔宿の規模〕家数137軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋21
〔宿の特徴〕木曽義仲(よしなか)関係の遺跡が多い。権兵衛(ごんべえ)峠の分岐点。
福島(ふくしま)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡木曽町福島上町・福島本町)
〔江戸・日本橋からの距離〕69里24町44間
〔宿の規模〕家数158軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋14
〔宿の特徴〕木曽路のほぼ中央にあり、木曽十一宿中いちばん栄えていた。東入口に福島関所が設けられ、木曽代官山村氏の陣屋があった。
上松(あげまつ)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡上松町上松)
〔江戸・日本橋からの距離〕72里3町24間
〔宿の規模〕家数362軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋35
〔宿の特徴〕歌枕(うたまくら)として知られる木曽の桟(かけはし)がある。また景勝地寝覚(ねざめ)ノ床(国名勝)も宿近くにある。
須原(すはら)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡大桑(おおくわ)村須原)
〔江戸・日本橋からの距離〕75里12町24間
〔宿の規模〕家数104軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋24
野尻(のじり)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡大桑村野尻)
〔江戸・日本橋からの距離〕77里6町47間
〔宿の規模〕家数108軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋19
三留野(みどの)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡南木曽(なぎそ)町読書(よみかき)三留野)
〔江戸・日本橋からの距離〕79里27町47間
〔宿の規模〕家数77軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋32
妻籠(つまご)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(長野県木曽郡南木曽町吾妻(あづま)妻籠)
〔江戸・日本橋からの距離〕81里6町47間
〔宿の規模〕家数83軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋31
〔宿の特徴〕伊那(いな)の飯田(いいだ)へ抜ける飯田道の分岐点。宿の西に尾張藩の白木改番所が置かれた。宿場の景観をよく残し、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。
馬籠(まごめ)
〔所在地〕信濃国筑摩郡(岐阜県中津川市馬籠)
〔江戸・日本橋からの距離〕83里6町47間
〔宿の規模〕家数69軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋18
〔宿の特徴〕信濃国と美濃(みの)国との境。
落合(おちあい)
〔所在地〕美濃国恵那(えな)郡(岐阜県中津川市落合)
〔江戸・日本橋からの距離〕84里12町8間
〔宿の規模〕家数75軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋14
中津川(なかつがわ)
〔所在地〕美濃国恵那郡(岐阜県中津川市本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕85里12町8間
〔宿の規模〕家数228軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋29
〔宿の特徴〕美濃東部の商業の中心地で商家も多い。
大井(おおい)
〔所在地〕美濃国恵那郡(岐阜県恵那市大井町)
〔江戸・日本橋からの距離〕87里30町8間
〔宿の規模〕家数110軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋41
〔宿の特徴〕古代東山道(とうさんどう)美濃八駅の一つで、恵那盆地の中央にあった。
大久手(おおくて)
〔所在地〕美濃国土岐(とき)郡(岐阜県瑞浪(みずなみ)市大湫(おおくて)町)
〔江戸・日本橋からの距離〕91里12町8間
〔宿の規模〕家数66軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋30
細久手(ほそくて)
〔所在地〕美濃国土岐郡(岐阜県瑞浪市日吉(ひよし)町)
〔江戸・日本橋からの距離〕92里30町8間
〔宿の規模〕家数65軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋24
御嶽(みたけ)
〔所在地〕美濃国可児(かに)郡(岐阜県可児郡御嵩(みたけ)町御嵩)
〔江戸・日本橋からの距離〕95里30町8間
〔宿の規模〕家数66軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋28
〔宿の特徴〕可児(蟹)薬師で知られる天台宗の名刹願興(がんこう)寺の門前町として発展。平安・鎌倉期の仏像群24体は国指定重要文化財。
伏見(ふしみ)
〔所在地〕美濃国可児郡(岐阜県可児郡御嵩町伏見)
〔江戸・日本橋からの距離〕96里30町8間
〔宿の規模〕家数82軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋29
〔宿の特徴〕宿場の西側に木曽川の新村湊(しんむらみなと)があった。
太田(おおた)
〔所在地〕美濃国加茂(かも)郡(岐阜県美濃加茂市太田本町2丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕98里30町8間
〔宿の規模〕家数118軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋20
〔宿の特徴〕木曽川右岸にあり、美濃加茂盆地の中央に位置する。古来、木曽川・飛騨(ひだ)川の合流点として栄えた。木曽川に設けられた太田の渡しは、増水による川留が多く、中山道有数の難所とされていた。いま日本ライン下りの出発地。
鵜沼(うぬま)
〔所在地〕美濃国各務(かかみ)郡(岐阜県各務原(かかみがはら)市鵜沼東町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕100里30町8間
〔宿の規模〕家数68軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕古代東山道の駅場の地で、木曽川右岸。
加納(かのう)
〔所在地〕美濃国厚見(あつみ)郡(岐阜県岐阜市加納本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕105里4町8間
〔宿の規模〕家数805軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋35
〔宿の特徴〕長良(ながら)川左岸にあった宿場町で、加納城の城下町としてもにぎわった。
河渡(ごうど)
〔所在地〕美濃国方県(かたがた)郡(岐阜県岐阜市河渡)
〔江戸・日本橋からの距離〕106里22町8間
〔宿の規模〕家数64軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋24
〔宿の特徴〕長良川の西岸にある宿場。河渡の渡しは、東岸の鏡島(かがしま)と河渡を結んでいた。
美江寺(みえじ)
〔所在地〕美濃国本巣(もとす)郡(岐阜県瑞穂(みずほ)市美江寺)
〔江戸・日本橋からの距離〕107里29町8間
〔宿の規模〕家数136軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋11
〔宿の特徴〕現在岐阜市美江寺町にある天台宗の古刹美江寺はもとこの地にあった。
赤坂(あかさか)
〔所在地〕美濃国不破(ふわ)郡(岐阜県大垣(おおがき)市赤坂町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕110里1町8間
〔宿の規模〕家数292軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋17
〔宿の特徴〕中世から東山道の要衝として栄え、当時の紀行文にその名が散見する。
垂井(たるい)
〔所在地〕美濃国不破郡(岐阜県不破郡垂井町垂井)
〔江戸・日本橋からの距離〕111里13町8間
〔宿の規模〕家数315軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋27
〔宿の特徴〕鎌倉時代からみえる古宿場。美濃国一宮南宮(なんぐう)神社の門前町としてもにぎわった。美濃路分岐点。
関ヶ原(せきがはら)
〔所在地〕美濃国不破郡(岐阜県不破郡関ヶ原町関ヶ原)
〔江戸・日本橋からの距離〕112里27町8間
〔宿の規模〕家数269軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋33
〔宿の特徴〕日本三関の一つ不破関は当宿の西方にあった。北の伊吹(いぶき)山と南の養老山地とに挟まれた関ヶ原は、壬申(じんしん)の乱や関ヶ原役の古戦場。
今須(います)
〔所在地〕美濃国不破郡(岐阜県不破郡関ヶ原町今須)
〔江戸・日本橋からの距離〕113里27町8間
〔宿の規模〕家数464軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋13
柏原(かしわばら)
〔所在地〕近江(おうみ)国坂田郡(滋賀県米原(まいばら)市柏原)
〔江戸・日本橋からの距離〕114里27町8間
〔宿の規模〕家数344軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋22
〔宿の特徴〕天台宗成菩提(じょうぼだい)院は桓武(かんむ)天皇勅願所。名物はもぐさ。
醒井(さめがい)
〔所在地〕近江国坂田郡(滋賀県米原市醒井)
〔江戸・日本橋からの距離〕116里9町8間
〔宿の規模〕家数138軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋11
〔宿の特徴〕加茂神社付近に、日本武尊(やまとたけるのみこと)が伊吹神の毒気をさましたという醒井清水がある。
番場(ばんば)
〔所在地〕近江国坂田郡(滋賀県米原市番場)
〔江戸・日本橋からの距離〕117里9町8間
〔宿の規模〕家数178軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋10
〔宿の特徴〕琵琶(びわ)湖東岸の宿場。
鳥居本(とりいもと)
〔所在地〕近江国坂田郡(滋賀県彦根(ひこね)市鳥居本町)
〔江戸・日本橋からの距離〕118里10町8間
〔宿の規模〕家数293軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋35
〔宿の特徴〕赤玉薬が名物。彦根に出て南下して安土(あづち)や八幡(はちまん)(近江(おうみ)八幡)を経て中山道の守山宿に合する朝鮮人来朝道や米原に向かう北国街道の分岐点。
高宮(たかみや)
〔所在地〕近江国犬上(いぬかみ)郡(滋賀県彦根市高宮町)
〔江戸・日本橋からの距離〕119里28町8間
〔宿の規模〕家数835軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋23
〔宿の特徴〕上質布の一つ高宮布の生産地で、のちその集散地となった。多賀大社が宿場の東方にある。
愛知川(えちがわ)
〔所在地〕近江国神崎郡(滋賀県愛知郡愛荘(あいしょう)町愛知川)
〔江戸・日本橋からの距離〕121里28町8間
〔宿の規模〕家数199軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋28
〔宿の特徴〕室町時代から東山道の宿駅としてその名がみえる。近江得珍保(とくちんのほ)の保内商人が活躍、伊勢(いせ)地方との流通が盛んであった。
武佐(むさ)
〔所在地〕近江国蒲生(がもう)郡(滋賀県近江八幡市武佐町)
〔江戸・日本橋からの距離〕124里10町8間
〔宿の規模〕家数183軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋23
守山(もりやま)
〔所在地〕近江国野洲(やす)郡(滋賀県守山市守山1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕127里28町8間
〔宿の規模〕家数415軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋30
〔宿の特徴〕鎌倉時代以来東海道の宿駅だったが、江戸期には中山道最後の宿場となった。守山宿から草津に至り、東海道に合流する。
〔甲州街道(甲州道中)〕
内藤新宿(ないとうしんじゅく)
〔所在地〕武蔵(むさし)国豊島(としま)郡(東京都新宿区新宿1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕2里
〔宿の規模〕家数698軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋24
〔宿の特徴〕古くは徳川家康の家臣関東総奉行内藤清成(きよなり)の屋敷があり、1698年(元禄11)に、高井土宿が日本橋より遠いため当宿を新設、内藤新宿と称したという。現在の新宿1~3丁目が宿場町の中心。
下高井土(しもたかいど)
〔所在地〕武蔵国多摩(たま)郡(東京都杉並区下高井戸1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕4里
〔宿の規模〕家数183軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋3
上高井土(かみたかいど)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都杉並区上高井戸1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕4里12町余
〔宿の規模〕家数168軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋2
〔宿の特徴〕下高井土・上高井土は合宿(がっしゅく)(両宿で1宿分の働きをする)で、月の前半は下高井土が、後半は上高井土が継ぎ送ることになっていた。
国領(こくりょう)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都調布(ちょうふ)市国領町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕5里32町余
〔宿の規模〕家数61軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋1
〔宿の特徴〕布田(ふだ)五宿の一つ。甲州街道はもと多摩川沿いにあり、当宿も現在地より南方にあったと伝える。
下布田(しもふだ)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都調布市布田1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕5里35町余
〔宿の規模〕家数95軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋3
上布田(かみふだ)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都調布市布田1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕6里1町余
〔宿の規模〕家数68軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋1
下石原(しもいしはら)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都調布市下石原1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕6里9町余
〔宿の規模〕家数91軒、本陣・脇本陣・旅籠屋なし
〔宿の特徴〕次の上石原とともに戦国時代には開かれていた地で、江戸期には御膳(ごぜん)ウリが特産だった。幕末から明治にかけて遊女屋が多くなった。
上石原(かみいしはら)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都調布市上石原1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕6里16町余
〔宿の規模〕家数73軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋4
〔宿の特徴〕国領から上石原までを布田五宿とよんだ。あわせて1宿分で、月に6回ずつの継ぎ立てをした。
府中(ふちゅう)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都府中市本町(ほんまち)1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕7里26町余
〔宿の規模〕家数430軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋29
〔宿の特徴〕古代・中世には武蔵国府が置かれ政治の中心。戦国時代末には宿場町が成立。大国魂(おおくにたま)神社(武蔵国総社六所宮(そうしゃろくしょぐう))があり、その門前に宿場が形成されている。
日野(ひの)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都日野市日野本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕9里26町余
〔宿の規模〕家数423軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋20
〔宿の特徴〕府中からは日野の渡し(季節によって土橋も架けられた)で多摩川を渡る。日野宿南方には平安時代からの古刹(こさつ)高幡(たかはた)不動尊がある。
横山(よこやま)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都八王子(はちおうじ)市横山町)
〔江戸・日本橋からの距離〕11里17町余
〔宿の規模〕家数1548軒、本陣2、脇本陣3、旅籠屋34
〔宿の特徴〕戦国時代、後北条(ごほうじょう)氏の居城八王子城の城下として発展した。鎌倉街道と甲州街道とがここで交差するため、古くから軍事・商業流通上の要所となっていた。横山宿のほか八日市宿など14の加宿があり、合計15の宿場町が成立した。この地方の経済の中心地。幕末には横浜への道も開けた。
駒木野(こまきの)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都八王子市裏高尾町)
〔江戸・日本橋からの距離〕13里8町余
〔宿の規模〕家数73軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋12
〔宿の特徴〕次の小仏宿と合宿であった。駒木野関所(小仏関所とも)は江戸四関の一つ。1580年(天正8)以前は小仏峠山頂にあったが、同年以後、麓(ふもと)の駒木野に移した。
小仏(こぼとけ)
〔所在地〕武蔵国多摩郡(東京都八王子市裏高尾町)
〔江戸・日本橋からの距離〕13里35町余
〔宿の規模〕家数58軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋11
〔宿の特徴〕甲州街道きっての難所とされた。高尾山(たかおさん)薬王(やくおう)院は修験(しゅげん)の霊場として古来より有名。
小原(おばら)
〔所在地〕相模(さがみ)国津久井(つくい)郡(神奈川県相模原市相模湖町小原)
〔江戸・日本橋からの距離〕15里21町余
〔宿の規模〕家数61軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋7
〔宿の特徴〕甲州街道を西に向かう者の宿場で、東に向かう者は与瀬(よせ)宿を利用する、いわゆる片継の宿であった。
与瀬(よせ)
〔所在地〕相模国津久井郡(神奈川県相模原市相模湖町与瀬・与瀬本町)
〔江戸・日本橋からの距離〕16里4町余
〔宿の規模〕家数114軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋6
〔宿の特徴〕当宿は隣の小原宿と合宿であり、人馬の継ぎ立ては小仏宿への片道だけ継ぎ立てた。
吉野(よしの)
〔所在地〕相模国津久井郡(神奈川県相模原市藤野町吉野)
〔江戸・日本橋からの距離〕17里3町余
〔宿の規模〕家数104軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋3
〔宿の特徴〕相模川上流にある小宿場。
関野(せきの)
〔所在地〕相模国津久井郡(神奈川県相模原市藤野町小渕(おぶち)
〔江戸・日本橋からの距離〕17里29町余
〔宿の規模〕家数130軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋3
〔宿の特徴〕相模国西端、甲州境にある。
上野原(うえのはら)
〔所在地〕甲斐(かい)国都留(つる)郡(山梨県上野原市上野原)
〔江戸・日本橋からの距離〕18里27町余
〔宿の規模〕家数159軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋20
〔宿の特徴〕毎月1、6の日に絹・紬(つむぎ)の市(いち)が開かれた。
鶴川(つるかわ)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県上野原市鶴川)
〔江戸・日本橋からの距離〕19里9町余
〔宿の規模〕家数57軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋8
野田尻(のたじり)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県上野原市野田尻)
〔江戸・日本橋からの距離〕20里12町余
〔宿の規模〕家数118軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋9
〔宿の特徴〕臨済宗建長寺派の寺院熊野山(くまのさん)西光(さいこう)寺がある。
犬目(いぬめ)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県上野原市犬目)
〔江戸・日本橋からの距離〕21里7町余
〔宿の規模〕家数56軒、本陣2、脇本陣なし、旅籠屋15
下鳥沢(しもとりさわ)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月(おおつき)市富浜(とみはま)町鳥沢)
〔江戸・日本橋からの距離〕22里14町余
〔宿の規模〕家数144軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋11
〔宿の特徴〕上鳥沢宿と合宿。1か月の上15日だけ継ぎ立てた。
上鳥沢(かみとりさわ)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市富浜町鳥沢)
〔江戸・日本橋からの距離〕22里19町余
〔宿の規模〕家数151軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋13
猿橋(さるはし)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市猿橋町猿橋)
〔江戸・日本橋からの距離〕23里10町余
〔宿の規模〕家数138軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋10
〔宿の特徴〕日本三奇橋の一つ猿橋がある。当宿は上野原、谷村(やむら)と並ぶ絹市場の開催地で、商業流通上の要地として知られた。
駒橋(こまはし)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市駒橋1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕23里32町余
〔宿の規模〕家数85軒、本陣・脇本陣なし、旅籠屋4
大月(おおつき)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市大月1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕24里12町余
〔宿の規模〕家数92軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋2
〔宿の特徴〕現在は山梨県東部の一中心であるが、江戸時代は街道沿いの小宿場だった。北方にそびえる岩殿山(いわどのさん)は古来山岳信仰の聖地として有名。郡内地方への分かれ道。
下花咲(しもはなさき)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市大月町花咲)
〔江戸・日本橋からの距離〕24里26町余
〔宿の規模〕家数77軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋22
上花咲(かみはなさき)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市大月町花咲)
〔江戸・日本橋からの距離〕24里32町余
〔宿の規模〕家数71軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋13
〔宿の特徴〕下花咲宿と合宿。上半月は当宿で、下半月は下花咲で継ぎ立てた。
下初狩(しもはつかり)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市初狩町下初狩)
〔江戸・日本橋からの距離〕25里26町余
〔宿の規模〕家数156軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋12
〔宿の特徴〕谷村方面に向かう分岐点として、次の中初狩とともに栄えた。中初狩と合宿。
中初狩(なかはつかり)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市初狩町中初狩)
〔江戸・日本橋からの距離〕26里4町余
〔宿の規模〕家数108軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕笹子(ささご)峠の東麓(とうろく)にあり、戦国時代からの宿場。
白野(しらの)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市笹子町白野)
〔江戸・日本橋からの距離〕27里6町余
〔宿の規模〕家数84軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋4
〔宿の特徴〕次2宿と合宿。
阿弥陀海道(あみだかいどう)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市笹子町吉久保)
〔江戸・日本橋からの距離〕27里24町余
〔宿の規模〕家数65軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋4
黒野田(くろのた)
〔所在地〕甲斐国都留郡(山梨県大月市笹子町黒野田)
〔江戸・日本橋からの距離〕28里余
〔宿の規模〕家数79軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋14
〔宿の特徴〕笹子峠への登り口にある宿場。
駒飼(こまかい)
〔所在地〕甲斐国八代(やつしろ)郡(山梨県甲州市大和(やまと)町日影(ひかげ)
〔江戸・日本橋からの距離〕30里5町余
〔宿の規模〕家数64軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋6
〔宿の特徴〕笹子峠の西側登り口。次の鶴瀬(つるぜ)と合宿であった。
鶴瀬(つるぜ)
〔所在地〕甲斐国山梨郡(山梨県甲州市大和町鶴瀬)
〔江戸・日本橋からの距離〕30里23町余
〔宿の規模〕家数58軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋4
〔宿の特徴〕鶴瀬関所が置かれていた。
勝沼(かつぬま)
〔所在地〕甲斐国山梨郡(山梨県甲州市勝沼町勝沼)
〔江戸・日本橋からの距離〕31里26町余
〔宿の規模〕家数192軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋23
〔宿の特徴〕真言宗智山派の古刹大善寺(本堂国宝)や勝沼氏館(やかた)跡(国史跡)がある。
栗原(くりばら)
〔所在地〕甲斐国山梨郡(山梨県山梨市下栗原)
〔江戸・日本橋からの距離〕32里22町余
〔宿の規模〕家数240軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋20
〔宿の特徴〕笛吹(ふえふき)川を挟んだ南側は古代の甲斐国の政治の中心で、国府・国分寺跡、一宮浅間神社(笛吹市一宮町一ノ宮)がある。
石和(いさわ)
〔所在地〕甲斐国八代郡(山梨県笛吹市石和町市部(いちべ)
〔江戸・日本橋からの距離〕34里6町余
〔宿の規模〕家数166軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋18
〔宿の特徴〕石和河岸は笛吹川最上流の河岸で、この地域の米は、ここから富士川を下って清水(しみず)港に積み出された。
甲府柳町(こうふやなぎまち)
〔所在地〕甲斐国巨摩(こま)郡(山梨県甲府市中央2丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕35里25町余
〔宿の規模〕家数209軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋21
〔宿の特徴〕甲府城の城下町の中心で、商業・政治の要所であった。
韮崎(にらさき)
〔所在地〕甲斐国巨摩郡(山梨県韮崎市本町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕39里10町余
〔宿の規模〕家数237軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋17
〔宿の特徴〕甲府盆地西部の中心地。武田勝頼(かつより)が新府(しんぷ)城を築いた所。鰍沢(かじかざわ)河岸を利用した富士川船運の荷物の集散地でもあった。
台ヶ原(だいがはら)
〔所在地〕甲斐国巨摩郡(山梨県北杜(ほくと)市白州(はくしゅう)町台ヶ原)
〔江戸・日本橋からの距離〕43里10町余
〔宿の規模〕家数153、本陣1、脇本陣1、旅籠屋14
〔宿の特徴〕釜無(かまなし)川と尾白(おじろ)川との合流点にある。
教来石(きょうらいし)
〔所在地〕甲斐国巨摩郡(山梨県北杜市白州町下教来石)
〔江戸・日本橋からの距離〕44里24町余
〔宿の規模〕家数144軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋7
蔦木(つたき)
〔所在地〕信濃(しなの)国諏訪(すわ)郡(長野県諏訪郡富士見町落合(おちあい)上蔦木)
〔江戸・日本橋からの距離〕45里30町余
〔宿の規模〕家数105軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋15
〔宿の特徴〕下蔦木との境近くに信濃最古の碑「応安(おうあん)の古碑」がある。
金沢(かねざわ)
〔所在地〕信濃国諏訪郡(長野県茅野(ちの)市金沢)
〔江戸・日本橋からの距離〕48里35町余
〔宿の規模〕家数161軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋17
〔宿の特徴〕金沢峠越えで伊那(いな)街道(三州街道)の高遠(たかとお)・飯田(いいだ)を経て遠江(とおとうみ)、三河、尾張(おわり)にも通じ、中馬(ちゅうま)によって塩、雑穀類が運ばれた。
上諏訪(かみすわ)
〔所在地〕信濃国諏訪郡(長野県諏訪市元町)
〔江戸・日本橋からの距離〕52里13町余
〔宿の規模〕家数232軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋14
〔宿の特徴〕甲州街道最後の宿場。中山道の下諏訪宿に継ぐ。諏訪は信濃国の一中心地で、上・下諏訪大社や高島城がある。
〔日光街道(日光道中)〕
千住(せんじゅ)
〔所在地〕武蔵(むさし)国足立(あだち)郡・豊島(としま)郡(東京都足立区千住1丁目・荒川区南千住1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕2里8町
〔宿の規模〕家数2370軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋55
〔宿の特徴〕1594年(文禄3)に徳川家康の命によって、隅田川に千住大橋が架けられ、奥州街道が整備された。1625年(寛永2)に日光東照宮が完成し、千住宿は日光街道の初宿(奥州街道の第一宿でもあるが、千住から宇都宮までは日光街道)となった。江戸四宿の一つとして栄えた。本陣などは足立区側に置かれ、荒川区側の千住南組(南千住)は1660年(万治3)に加宿とされ、大橋の両側を総称して千住宿とよんだ。
草加(そうか)
〔所在地〕武蔵国足立郡(埼玉県草加市神明1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕4里16町
〔宿の規模〕家数723軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋67
〔宿の特徴〕1606年(慶長11)に沼を埋め立てて奥州街道(のち日光街道)の宿駅の一つになった。
越ヶ谷(こしがや)
〔所在地〕武蔵国埼玉郡(埼玉県越谷市越ヶ谷本町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕6里8町
〔宿の規模〕家数1005軒、本陣1、脇本陣4、旅籠屋52
〔宿の特徴〕中世以来毎月2、7日に六斎市(ろくさいいち)が開かれた。
粕壁(かすかべ)
〔所在地〕武蔵国埼玉郡(埼玉県春日部(かすかべ)市粕壁1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕9里2町
〔宿の規模〕家数773軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋45
〔宿の特徴〕毎月4、9の日に市が立ち、にぎわった。
杉戸(すぎと)
〔所在地〕武蔵国葛飾(かつしか)郡(埼玉県北葛飾郡杉戸町杉戸1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕10里23町
〔宿の規模〕家数365軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋46
〔宿の特徴〕1616年(元和2)奥州街道の宿駅となった。
幸手(さって)
〔所在地〕武蔵国葛飾郡(埼玉県幸手市中1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕12里12町
〔宿の規模〕家数962軒、本陣1、脇本陣なし、旅籠屋27
〔宿の特徴〕古利根(ふるとね)川沿いにある古くからの町場。
栗橋(くりはし)
〔所在地〕武蔵国葛飾郡(埼玉県北葛飾郡栗橋町北1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕14里15町
〔宿の規模〕家数404軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕徳川家康による利根川の開削に伴い、栗橋村(現茨城県猿島(さしま)郡五霞(ごか)町元栗橋)の住民が移り住み、新栗橋村を称した。利根川の西岸に位置し、渡船場および栗橋関所があった。
中田(なかだ)
〔所在地〕下総(しもうさ)国葛飾郡(茨城県古河(こが)市中田)
〔江戸・日本橋からの距離〕14里15町
〔宿の規模〕家数69軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋6
〔宿の特徴〕渡良瀬(わたらせ)川と利根川の左岸にあり、栗橋宿の対岸に位置している。渡船場があった。
古河(こが)
〔所在地〕下総国葛飾郡(茨城県古河市原町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕15里35町
〔宿の規模〕家数1105軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋31
〔宿の特徴〕万葉集にみえる「許我(こが)の渡し」に比定され、古代から渡良瀬川の渡し場として関東平野中央の要衝の地。室町時代には古河公方(くぼう)足利(あしかが)氏の拠点として、江戸時代には利根川、渡良瀬川など河川交通上の中心地としてにぎわった。
野木(のぎ)
〔所在地〕下野(しもつけ)国都賀(つが)郡(栃木県下都賀郡野木町野木)
〔江戸・日本橋からの距離〕16里24町20間
〔宿の規模〕家数126軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕下野国最初の宿場。古社野木神社がある。
間々田(ままだ)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県小山(おやま)市間々田など)
〔江戸・日本橋からの距離〕18里15町20間
〔宿の規模〕家数175軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋50
小山(おやま)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県小山市中央町1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕20里2町20間
〔宿の規模〕家数423軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋74
〔宿の特徴〕中世関東の名族小山氏の本拠地で、城下町として栄えた。2代将軍徳川秀忠(ひでただ)の日光社参のとき御旅所として小山御殿がつくられた。
新田(しんでん)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県小山市羽川(はねかわ)
〔江戸・日本橋からの距離〕21里13町20間
〔宿の規模〕家数59軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋11
〔宿の特徴〕大町(おおまち)新田を新田宿とよび、1873年(明治6)に羽川宿と改めた。
小金井(こがねい)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県下野市小金井)
〔江戸・日本橋からの距離〕22里6町20間
〔宿の規模〕家数165軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋43
石橋(いしばし)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県下野市石橋)
〔江戸・日本橋からの距離〕23里24町20間
〔宿の規模〕家数79軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋30
雀宮(すずめのみや)
〔所在地〕下野国河内(かわち)郡(栃木県宇都宮市雀の宮1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕25里11町20間
〔宿の規模〕家数72軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋38
〔宿の特徴〕地名の由来する雀宮神社がある。
宇都宮(うつのみや)
〔所在地〕下野国河内郡(栃木県宇都宮市伝馬(でんま)町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕27里12町20間
〔宿の規模〕家数1219軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋42
〔宿の特徴〕二荒山(ふたあらやま)神社(宇都宮大明神)を中心として古来栄えた。下野のみならず北関東の商業流通の中心地。奥州街道を分岐する。
下徳次郎(しもとくじろう)
中徳次郎(なかとくじろう)
上徳次郎(かみとくじろう)
〔所在地〕下野国河内郡(栃木県宇都宮市徳次郎町)
〔江戸・日本橋からの距離〕下―29里25町20間、中―29里29町20間、上―30里7町20間
〔宿の規模〕家数168軒、本陣2、仮本陣1、脇本陣3、仮脇本陣1、旅籠屋72
〔宿の特徴〕上・中・下3宿をあわせて1宿場とされていた。
大沢(おおさわ)
〔所在地〕下野国河内郡(栃木県日光市大沢町)
〔江戸・日本橋からの距離〕32里3町20間
〔宿の規模〕家数43軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋41
〔宿の特徴〕3代将軍家光(いえみつ)の東照宮参詣(さんけい)のおり、大沢御殿が営まれた。日光杉並木が有名。
今市(いまいち)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県日光市今市)
〔江戸・日本橋からの距離〕34里3町20間
〔宿の規模〕家数236軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋21
〔宿の特徴〕日光街道のほか、日光街道壬生(みぶ)通、会津西街道などが合流し、日光の表玄関に相当する。
鉢石(はちいし)
〔所在地〕下野国都賀郡(栃木県日光市中鉢石町など)
〔江戸・日本橋からの距離〕36里余
〔宿の規模〕家数227軒、本陣2、脇本陣など、旅籠屋19
〔宿の特徴〕宿場というより日光門前町であった。中世には坂本とよばれ、日光山内とは区別されていた。1641年(寛永18)幕府が、日光山内にあった民家を移転させてから、門前町が形成されるようになった。
〔奥州街道(奥州道中)〕
白沢(しらさわ)
〔所在地〕下野(しもつけ)国河内(かわち)郡(栃木県宇都宮市白沢町)
〔江戸・日本橋からの距離〕30里4町20間
〔宿の規模〕家数71軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋13
〔宿の特徴〕鬼怒(きぬ)川右岸にある町で、宇都宮を起点とした場合の第一番目の宿場。奥州道は、江戸・日本橋から宇都宮まで、日光街道と重なる。
氏家(うじいえ)
〔所在地〕下野国塩谷(しおや)郡(栃木県さくら市氏家)
〔江戸・日本橋からの距離〕31里22町20間
〔宿の規模〕家数235軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋35
〔宿の特徴〕慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に開設された鬼怒川最上流の阿久津河岸(あくつがし)をもち、鬼怒川河川交通の要衝。また、原街道、会津中街道、会津西街道なども氏家宿に集中するため、下野北部の流通に大きな役割を果たしていた。
喜連川(きつれがわ)
〔所在地〕下野国塩谷郡(栃木県さくら市喜連川など)
〔江戸・日本橋からの距離〕33里22町20間
〔宿の規模〕家数290軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋29
〔宿の特徴〕宇都宮氏の支族塩谷氏の居城喜連川城の城下町として中世以来栄えた。江戸時代には、足利(あしかが)氏の流れをくむ名族喜連川氏の城下町。
佐久山(さくやま)
〔所在地〕下野国那須(なす)郡(栃木県大田原(おおたわら)市佐久山)
〔江戸・日本橋からの距離〕36里16町56間
〔宿の規模〕家数121軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋27
〔宿の特徴〕箒(ほうき)川右岸に佐久山河岸をもつ。那須氏の一族佐久山氏の佐久山城があった。
大田原(おおたわら)
〔所在地〕下野国那須郡(栃木県大田原市中央1丁目など)
〔江戸・日本橋からの距離〕38里6町37間
〔宿の規模〕家数245軒、本陣2、脇本陣1、旅籠屋42
〔宿の特徴〕那須氏一族の大田原氏が大田原城を築き、城下町として中世以来栄えた。日光北街道、塩原街道も集中して、奥州街道のなかでは大きな宿場の一つであった。
鍋掛(なべかけ)
〔所在地〕下野国那須郡(栃木県那須塩原(なすしおばら)市鍋掛)
〔江戸・日本橋からの距離〕41里8町34間
〔宿の規模〕家数68軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋23
〔宿の特徴〕1604年(慶長9)奥州道が整備されたとき那珂(なか)川沿いに設けられた宿場。那珂川には橋、舟渡しがなく、増水時には川留(かわどめ)されて宿場はにぎわった。
越堀(こえぼり)
〔所在地〕下野国那須郡(栃木県那須塩原市越堀)
〔江戸・日本橋からの距離〕41里17町22間
〔宿の規模〕家数113軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋11
〔宿の特徴〕1646年(正保3)新たに宿場として認められたもので、那珂川増水時の仮宿泊所が発展したもの。
芦野(あしの)
〔所在地〕下野国那須郡(栃木県那須郡那須町芦野)
〔江戸・日本橋からの距離〕43里29町4間半
〔宿の規模〕家数168軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋25
〔宿の特徴〕鎌倉時代以来那須氏などの居城が設けられた那須地方の要所。下野国最北宿場として栄えた。
白坂(しらさか)
〔所在地〕下野国那須郡(福島県白河市白坂)
〔江戸・日本橋からの距離〕46里33町34間半
〔宿の規模〕家数71軒、本陣1、脇本陣1、旅籠屋27
白川(しらかわ)
〔所在地〕下野国那須郡(福島県白河市本町(もとまち)など)
〔江戸・日本橋からの距離〕48里30町34間半
〔宿の規模〕家数1285軒、本陣1、脇本陣2、旅籠屋35
〔宿の特徴〕奥州への表玄関として、古代以来重要な所。白河市旗宿(はたじゅく)にある白河関所跡は国史跡。中世、近世の白河城城下町としてもにぎわった。ここより延長して三厩(みんまや)、箱館(はこだて)に至る仙台、松前道があり、会津街道、棚倉(たなくら)街道を分岐する。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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