富士松薩摩掾(1世)(読み)ふじまつさつまのじょう[いっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士松薩摩掾(1世)」の意味・わかりやすい解説

富士松薩摩掾(1世)
ふじまつさつまのじょう[いっせい]

[生]貞享3 (1686)
[没]宝暦7 (1757).6.6. 江戸
新内節の遠祖。本名野中彦次郎。宮古路豊後掾の門に入り,宮古路加賀太夫を名のる。師とともに江戸に下り,豊後節哀婉で煽情的な芸風が一大旋風を巻き起こした。ところが,それが江戸市中の心中事件多発の原因とされ,幕府より弾圧を受け,元文4(1739)年には芝居出勤や稽古などほとんど全面的に禁止された。同 1(1736)年に弾圧が始まったためそれより前に師は掾号を返上して京都に戻ったが,江戸に残留した門弟のなかで加賀太夫はいち早く延享2(1745)年に富士松薩摩と改名して富士松節を興した。翌同 3(1746)年には掾号を得る。師の豊後節の芸風,芸域などと特に変わるところはなかったが,劇場にも出勤した。晩年質屋を営み,盗賊に襲われても困窮することはなかったといわれている。門下に 1世鶴賀若狭掾が出て,また若狭掾の門人の 2世鶴賀新内語り口が人気を得てもてはやされたことにより,富士松節も鶴賀節も一括して新内節と呼ばれるようになった。

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