寺子屋(教育機関)(読み)てらこや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「寺子屋(教育機関)」の意味・わかりやすい解説

寺子屋(教育機関)
てらこや

近世から近代初頭にわたり広く普及した庶民教育機関。中世寺院の世俗教育に源流はみられるが、本質的には江戸中期以降の商品・貨幣経済の発展を基盤として、勢力を伸長した庶民の教育需要に即応し、自主的に成立し普及した教育施設である。したがって一教室・一教師組織の素朴な規模(学童20~30人くらい)のものが多く、学童は6、7歳から12、3歳の男女で、寺子、筆子(ふでこ)などとよばれ、往来物(書簡体の教科書)などを手本とし、手習うという反復的訓練を通して、生業や生活に必要な知識・技能・道徳を学習した。師匠は、僧侶(そうりょ)、武士神官町人などが知られるが、地方では、村吏、農民師匠も多かった。また、都市や商業的農業の進展した農村地域では算盤(そろばん)を、大都市では茶道華道漢学国学などの教養科目を加えるものもあるなど、地域社会の構造・機能・様態などに応じた学習も行われた。このように庶民生活に密着した寺子屋は、庶民生活の向上と教育需要の増大幕藩体制動揺に対応する幕藩領主の保護奨励とによって、宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)・安永(あんえい)(1751~81)のころから増加の動きをみせ、天保(てんぽう)(1830~44)以後においては、安永期(1772~81)に比べて47~100倍という増加をし、『日本教育史資料』によれば、その数約1万5000校に達した。寺子の幕末期における就学率は、埼玉・群馬両県下の養蚕地帯でおよそ40%から50%、愛知県の商品的農産地帯などで平均47.9%という高率の所もみられた。このように普及をみた寺子屋は、明治以後、小学校教育に圧倒され消滅したが、近代における義務教育普及徹底の大きな基盤となった。

[利根啓三郎]

『石川謙著『寺子屋』(1966・至文堂)』『石川謙著『日本庶民教育史』(1972・玉川大学出版部)』『利根啓三郎著『寺子屋と庶民教育の実証的研究』(1981・雄山閣出版)』


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