小協商(読み)しょうきょうしょう(英語表記)Little Entente
Petite Entente[フランス]

精選版 日本国語大辞典 「小協商」の意味・読み・例文・類語

しょう‐きょうしょう セウケフシャウ【小協商】

(Petit entente の訳語) 第一次世界大戦後、チェコスロバキアルーマニアユーゴスラビアの三か国間に結ばれた協定。オーストリアの復活を阻止するための防御同盟。のちにイタリアの拡張政策に対抗するためのものとなり、一九二〇年代末にはドイツの復興に対処するためのものとしてフランスの支援をうけた。しかしナチスが台頭し、侵略の脅威が強まると、小協商諸国はソ連不可侵条約を結んでこれに対抗したが、ナチスによるズデーテン併合(一九三八)およびボヘミア併合(一九三九)によって小協商の中核であるチェコスロバキアが崩壊したため、小協商自体も消滅した。

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デジタル大辞泉 「小協商」の意味・読み・例文・類語

しょう‐きょうしょう〔セウケフシヤウ〕【小協商】

《〈フランス〉Petite Entente》第一次大戦後の1920年、チェコスロバキア・ルーマニア・ユーゴスラビアの3国間に結ばれた政治同盟ベルサイユ体制を維持するため、フランスの強力な支援を受けたが、39年、ナチスによるチェコスロバキア解体によって崩壊。

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改訂新版 世界大百科事典 「小協商」の意味・わかりやすい解説

小協商 (しょうきょうしょう)
Little Entente
Petite Entente[フランス]

第1次世界大戦後,オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊するさなか,新生チェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニアの3国間に個別に締結された同盟関係の総称。この呼称はハンガリー人ジャーナリストが1920年に嘲笑(ちようしよう)気味に用いたのが最初とされる。オーストリアとハンガリーによるハプスブルク帝国再建を阻止することを目的として,チェコスロバキアの外相ベネシュが中心となり,ハンガリーの領土回復要求に脅威を感じるユーゴスラビアやルーマニアと相互援助を取り決めるための交渉に入った。その結果,20年8月チェコスロバキアとユーゴスラビア間に,ハンガリーの攻撃に対する相互援助条約が締結された。ついで21年4月チェコスロバキアとルーマニア間に,6月ルーマニアとユーゴスラビア間に同様の相互援助条約が結ばれ,小協商が成立した。小協商は東にソ連,西にドイツと国境を接するポーランドと密接な関係を保ち,22年4月ヨーロッパの経済復興計画を討議するジェノバ会議では一体となって活動し,国際政治上の一勢力として列強にその地位を認識させた。他方,フランスは自国の安全保障確保のため,小協商やポーランドと同盟条約を結び東ヨーロッパに足場を築き,これを現状,すなわちベルサイユ体制維持の一支柱とした。

 1930年代に入り現状打破勢力の動きが活発化すると,33年2月に小協商は組織化を目的とする協定を結び,各国外相からなる年3度の常設会議や常設書記局を設置した。しかし,ルーマニアとユーゴスラビアはナチス・ドイツやイタリアによる現状打破の行動に対し,イギリスとフランスが対抗措置をとらないために危機感を強め,しだいにドイツやイタリアとの関係を強めていくこととなった。このため,ミュンヘン会談直前の38年8月,ユーゴスラビアのブレッドで開催された小協商最後の会議で,ドイツからの脅威に直面したチェコスロバキアは他の2国に援助を求めたが,失敗に終わった。同年10月から39年3月にかけ,チェコスロバキアがドイツによって解体させられたことに伴い,小協商も消滅した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小協商」の意味・わかりやすい解説

小協商
しょうきょうしょう

第一次世界大戦後のチェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア3国の友好関係をいう。当初、オーストリア・ハンガリー帝国崩壊のなかから生まれた3国の対決的態度をあざけって、ブダペストの新聞『ペスチヒルラップ』(1920年2月21日号)が用いた表現であったが、のちハンガリーやブルガリアに備えるチェコ―ユーゴ(1920.8.14)、チェコ―ルーマニア(1921.4.23)、ユーゴ―ルーマニア(1921.6.7)の防御同盟条約による提携関係を意味するに至った。

 小協商は、経済統合にも努め、東欧で独自の存在となったが、とくにその親仏的性格が重要である。当初好意的でなかったフランスは、ポーランド・ソビエト戦争(1920)を契機にポーランドに小協商への接近を促し、自らもポーランド(1921.2)、チェコ(1924.1)、ルーマニア(1926.6)、ユーゴ(1927.11)との同盟関係を確立強化し、この東欧同盟網をヨーロッパ政策の支柱に据えた。しかし、この地域はしだいにドイツへの経済的依存を強め、さらに世界恐慌以後、急速に不安定化した。

 東欧ロカルノ案など、ドイツ、ソ連、ポーランドを含む集団安全保障構想が挫折(ざせつ)したのち、これら小国は「宥和(ゆうわ)政策」の犠牲に供され、1939年3月16日ヒトラーのチェコ解体により小協商も崩壊した。

[濱口 學]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小協商」の意味・わかりやすい解説

小協商
しょうきょうしょう
Little Entente

第1,2次世界大戦間に結ばれたチェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニア3国間の同盟で,三国協商になぞらえてこう呼ばれた。上記3国は,オーストリア=ハンガリー帝国から独立あるいは領土を獲得したため,ハンガリー,ブルガリアによる報復,ハプスブルク王朝の復活などに対してその独立と領土を守ろうとした。チェコの外相 E.ベネシュの努力によって,1920年8月 14日チェコ,ユーゴ間に,21年4月 23日チェコ,ルーマニア間に,6月7日ユーゴ,ルーマニア間にそれぞれ同盟条約が結ばれ,ここに小協商が成立した。さらに同年7月チェコ,ルーマニア,8月チェコ,ユーゴ間に軍事協定が結ばれ,また 22年8月 31日チェコ,ユーゴ間に政治・経済協力条約が締結され,協力関係が強化された。一方ドイツに対する安全保障とバルカン進出への足掛りの確保,ソ連からの革命の影響に対処しようとするフランスは,21年ポーランド,24年チェコ,26年ルーマニア,27年ユーゴとそれぞれ同盟条約を結び,ベルサイユ体制の維持に乗出した。しかし 1930年代にはドイツの影響力が次第に東欧に浸透していき,38年9月 30日のミュンヘン協定の結果,フランスとチェコの同盟関係は崩壊し,小協商も消滅した。

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百科事典マイペディア 「小協商」の意味・わかりやすい解説

小協商【しょうきょうしょう】

第1次世界大戦後,オーストリア・ハンガリー二重帝国が崩壊するさなか,1920年のユーゴスラビア・チェコスロバキア条約,1921年のルーマニア・チェコスロバキア条約とユーゴスラビア・ルーマニア条約の3条約によって実現された3国間の同盟関係。この背後にはフランスがあり,フランスの対独包囲網の一環という性格をもっていた。ナチス・ドイツの台頭で1938年―1939年に崩壊。→バルカン協商
→関連項目ベネシュ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「小協商」の解説

小協商(しょうきょうしょう)
Little Entente

第一次世界大戦後,チェコスロヴァキア,ルーマニア,ユーゴスラヴィアの間に,1920~21年に別々に結ばれた同盟関係の総称。直接にはハンガリーの領土回復に備える目的を持っていたが,同時にドナウ川沿岸諸国の政治経済的結合の意味も持っており,ジェノヴァ会議では一体として動いた。フランスは小協商と結んで東欧に足場を築こうとした。小協商は33年に強化され,定期的に会合する常設理事会を設けるに至ったが,ナチス・ドイツの台頭とフランスの衰退によって,解体した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「小協商」の解説

小協商
しょうきょうしょう
Little Entente

第一次世界大戦後に生まれた,チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア・ルーマニア3国の同盟関係
1920年のチェコ・ユーゴ間の同盟,21年のルーマニア・チェコ間,ユーゴ・ルーマニア間の同盟を基礎に成立した。ポーランドもルーマニアとの同盟を通じて接近した。フランスとの外交的経済結合を背景に,ヴェルサイユ体制維持の支柱となったが,1939年ヒトラーによるチェコスロヴァキアの解体で崩壊した。

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世界大百科事典(旧版)内の小協商の言及

【協商】より

…協商の事例は19世紀後半から第1次世界大戦前後に多くみられる。イギリス,フランス,ロシアの三国協商(1894年の露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により成立),日仏・日露協約(1907),第1次世界大戦後のチェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニアの3国間に締結された小協商など。この英仏露三国協商は,第1次世界大戦が近づくにつれて,実質的に軍事同盟的傾向を強めていった実例である。…

【ベネシュ】より

…18年のチェコスロバキア独立とともに外相に就任した。国際連盟の場で,小国の利益を代弁し,連盟の強化を唱えると同時に,パリ平和条約で生み出されたいわゆるベルサイユ体制の維持を目的として,ユーゴスラビア,ルーマニアとの間に小協商と呼ばれる同盟をも結び,さらに列強の中ではフランスとの関係を重視した。35年には大統領に就任したが,38年にナチス・ドイツに譲歩してズデーテンの割譲を認めたミュンヘン協定(ミュンヘン会談)が結ばれると,ロンドンへ亡命した。…

※「小協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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