小坂町(読み)おさかちよう

日本歴史地名大系 「小坂町」の解説

小坂町
おさかちよう

面積:二四五・九九平方キロ

郡北東端に位置し、北は大野郡朝日あさひ村・久々野くぐの町、東は長野県木曾郡開田かいだ村・三岳みたけ村、南東は同郡王滝おうたき村、南は下呂げろ町、西は萩原はぎわら町に接する。東西二四キロ・南北二一キロで町域の九六パーセントを山地が占める。北西部を飛騨(益田)川が北から南へ貫流する。東端にそびえる御嶽おんたけ摩利支天まりしてん山・継母ままはは岳などの山麓一帯から流れ出る小黒おぐろ川・濁河にごりご川・大洞おおぼら川などの谷を集めた小坂川が飛騨川に注ぐ。小河川の数は俗に八〇八谷以上といわれる。

小坂町
こさかまち

[現在地名]水口町東林口ひがしはやしぐち城内じようない

水口宿の西端にあり、東海道を挟み東西に延びる両側町。西は林口村、南は水口城内。北は綾野あやのとよばれる原野であったが、茶畑が開かれ御茶園おさえん地名が残る。慶長五年(一六〇〇)東海道整備の頃はその道筋は林口村から東へ真っすぐに延び、当町もこれに沿い順次町並を整えたものと思われる。寛永一〇年(一六三三)水口城築城に際し東海道の一部が北へ屈曲させられ、当町もこれに伴い北へ移った。また天和二年(一六八二)の水口藩成立により武家地が北に広がったため、東海道がさらに北に移され、当町もこれに応じて移動した。

小坂町
こさかまち

面積:一七八・一二平方キロ(境界未定)

秋田県北東端部に位置。北は青森県南津軽郡平賀ひらか町・いかりせき村、北東は十和田湖を挟んで青森県上北郡十和田湖町、東と南は鹿角市、西は大館市。

青森県境に発して南流する小坂川が町の南部にわずかな平野をつくり、鹿角盆地の北端部、小坂盆地を形成する。北・東・西は広い山地で、積雪期間が長い。十和田湖は十和田八幡平国立公園に含まれるが、これを挟む十和田湖町との間で境界が確定していない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小坂町」の意味・わかりやすい解説

小坂〔町〕
こさか

秋田県北東部,十和田湖西岸に接する町。南西は大館市,南東は鹿角市に接する。 1914年町制。 55年七滝村と合体。かつては日本の代表的な鉱山町で,明治以降稼働した鉱山は 30を数える。小坂鉱山が最初に発見されたのは,文久1 (1861) 年で,盛岡藩によって開発され,明治維新後は一時官営となった。銅,鉛,亜鉛,銀を産し,大正時代初期には最盛期を迎え,人口も一時は2万余を数えた。第2次世界大戦後の 1959年,内ノ岱 (うちのたい) で高品位の黒鉱鉱床を発見。 62年に日本最大の選鉱場が完成したが,採算悪化のため採掘は行われていない。観光に力を入れ,明治時代の本格的木造芝居小屋である康楽館を復元して常設公演を行なっている。十和田湖畔は十和田八幡平国立公園に属し,十和田湖と奥入瀬渓流は特別名勝および天然記念物。東北自動車道の小坂インターチェンジがあり,十和田湖までは十和田大館樹海ラインが通る。面積 201.70km2。人口 4780(2020)。

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事典 日本の地域遺産 「小坂町」の解説

小坂町

(秋田県鹿角郡小坂町)
日本で最も美しい村」指定の地域遺産。
小坂町は、秋田県の北東部、青森県(平川市十和田市)との県境に位置する。広大な丘陵と十和田湖外輪山などの山々に囲まれ、総面積の約80%を山林原野が占める。明治~大正期には、日本三大銅山と称えられた小坂鉱山のお膝元で、県下第2の都市として発展した

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

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