小寺清先(読み)こでら・きよさき

朝日日本歴史人物事典 「小寺清先」の解説

小寺清先

没年:文政10.閏6.26(1827.8.18)
生年:寛延1(1748)
江戸後期の国学者,神道家。通称は常陸介。号は雲斎,楢園。備中笠岡(笠岡市)の稲荷社の祠官の家に生まれ,家職を継ぐ。若年上京して,唯一神道の宗家吉田家に入門。当時吉田家の賓師だった松岡仲良が,清先を推して自分の後任にしようとしたが,高齢の父を養わなければならないことを理由に固辞して帰郷。寛政11(1799)年,病のため祠職を長子清之に譲り,のち郷校敬業館に請われて講師となった。松岡仲良から『持授抄』の伝授を受けた。谷川士清の『日本書紀通証』を高く評価したが,いまだその奥義を尽くしていないといって『本教闡明』を著した。歌は在京時代に澄月に学び,詠歌数千首におよんだ。家集を『楢園集』という。<著作>『三器説』『国号論』など。

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小寺清先」の解説

小寺清先 こでら-きよさき

1748-1827 江戸時代中期-後期の国学者。
寛延元年生まれ。備中(びっちゅう)(岡山県)笠岡の陣屋稲荷(じんやいなり)宮司(ぐうじ)。京都で卜部(うらべ)主親に吉田神道を,澄月(ちょうげつ)に和歌をまなび,菅茶山(かん-ちゃざん),頼杏坪(らい-きょうへい)らとまじわる。松岡仲良から後継者に乞われるが固辞,晩年は郷校敬業館でおしえた。文政10年閏(うるう)6月26日死去。80歳。通称は常陸介。号は楢園。著作に「三器説」,歌集に「楢園集」など。

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