小松(市)(読み)こまつ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小松(市)」の意味・わかりやすい解説

小松(市)
こまつ

石川県南部にある市。1940年(昭和15)小松町安宅(あたか)町、牧、板津、白江(しらえ)、苗代(のしろ)、御幸(みゆき)、粟津(あわづ)の6村が合併して市制施行。1955年(昭和30)矢田野、那谷(なた)、中海(なかうみ)の3村と月津村の一部を編入、1956年金野(かねの)、西尾、新丸(しんまる)、大杉谷(おおすぎだに)の4村と国府村の一部を編入。市域は大日川(だいにちがわ)、梯川(かけはしがわ)上流の山地から梯川下流の低湿地にわたり、日本海に面する。海岸には砂丘が発達する。背後の今江(いまえ)潟は干拓され、木場潟(きばがた)は豊かな自然の姿を残している。JR北陸本線、国道8号、305号、360号、416号、北陸自動車道が通じ、自衛隊と共用の小松空港があり、札幌、東京、福岡、ソウルなどと結ばれている。縄文、弥生(やよい)時代の遺跡は広く市域に多数あり、勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)や櫛目文(くしめもん)土器なども多く出土する。三湖(さんこ)台の丘陵一帯には古墳群があり、粟津、那谷(なた)の山麓(さんろく)地帯には古窯(こよう)跡が数多く、古府(こふ)には加賀国府も置かれた。また、白山中宮八院の8か寺もあって栄えた。中世には一向一揆(いっこういっき)が守護富樫政親(とがしまさちか)を討ち、1576年(天正4)その長の若林長門(ながと)が築城(小松城)、その後、村上義明丹羽(にわ)長重が居城。1639年(寛永16)加賀3代藩主前田利常(としつね)は小松城に隠居し、いまに伝わる絹織物、畳表、製茶などを奨励した。近世から尾小屋鉱山(おごやこうざん)も開発され、1971年まで続いた。遊泉寺鉱山(ゆうせんじこうざん)の鉄工所から発展したコマツブルドーザーなどの世界的企業となっている。撚糸(ねんし)、合成繊維織物工業も盛んで、小松縮緬(ちりめん)、九谷焼の伝統工業もある。粟津温泉、芦城(ろじょう)公園、義経(よしつね)伝説にちなむ安宅ノ関跡などがあり、国指定重要文化財を多くもつ那谷寺、小松天満宮のほか、市立博物館、市立宮本三郎美術館、本陣記念美術館もある。2018年(平成30)公立小松大学が開校した。面積371.05平方キロメートル、人口10万6216(2020)。

[矢ヶ崎孝雄]

『川良雄編『小松市史』全5巻(1950~1968・小松市)』『川良雄編『小松市史 史料編』全2巻(1940・小松町)』『『新修小松市史』全20巻(1999~ ・小松市)』


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