小槻今雄(読み)おつきのいまお

朝日日本歴史人物事典 「小槻今雄」の解説

小槻今雄

生年生没年不詳
平安前期の官人。近江国(滋賀県)栗太郡の出身で息速別命の後裔といい,はじめ小槻山公と称したが,貞観15(873)年,平安京の左京四条三坊に居所を与えられ,一族と共に阿保(朝臣)姓に改めた。子の当平が再び小槻(宿禰)を賜姓されて以降,代々この姓を称したことで今雄は小槻氏の祖とされた。ことに今雄が右大史兼算博士を歴任したことから,一族はこの職につくことを慣例とし,さらに5代孫の奉親が左大史となってから小槻氏の長者官務(太政官の史の上席)を世襲し,官務家と呼ばれるようになる。近江国滋賀郡の苗鹿,雄琴荘を所有し,この地に残る氏寺法光寺には今雄の廟と伝える宝篋印塔や宝塔がある。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小槻今雄」の解説

小槻今雄 おづきの-いまお

?-? 平安時代前期の官吏
近江(おうみ)(滋賀県)栗太(くりた)郡の豪族で小槻山公と称し,太政官(だじょうかん)左少史兼算博士となる。貞観(じょうがん)15年(873)京都本居をうつすことをゆるされ,阿保(あぼ)姓をあたえられた。以後,小槻家は太政官の史(ふひと)と算博士を世襲した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android