小津 安二郎(読み)オヅ ヤスジロウ

20世紀日本人名事典 「小津 安二郎」の解説

小津 安二郎
オヅ ヤスジロウ

昭和期の映画監督



生年
明治36(1903)年12月12日

没年
昭和38(1963)年12月12日

出生地
東京市深川区万年町

出身地
三重県松阪市

学歴〔年〕
三重県立四中(現・伊勢高)〔大正10年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日映画コンクール監督賞・脚本賞(第4回・昭24年度)「晩春」,シナリオ賞(昭24 25 26 27 28 31 33 35 37年度)「晩春」「宗方姉妹」「麦秋」「お茶漬の味」「東京物語」「早春」「彼岸花」「秋日和」,ブルーリボン賞監督賞(第2回・昭26年度)「麦秋」,毎日映画コンクール日本映画賞(昭26年度)「麦秋」,紫綬褒章〔昭和33年〕,日本芸術院賞〔昭和34年〕,芸術選奨文部大臣賞〔昭和36年〕,アジア映画祭監督賞〔昭和36年〕,ブルーリボン賞日本映画文化賞〔昭和38年〕,毎日映画コンクール特別賞(昭38年度),NHK特別賞〔昭和38年〕

経歴
中学在学中、活動写真にとりつかれ、映画監督を志す。小学校の代用教員を経て、大正12年松竹蒲田撮影所入所。カメラ助手、監督助手を経て、昭和2年時代劇「懴悔の刃」で監督デビュー。4年「大学は出たけれど」5年「落第はしたけれど」で当時の就職難を扱い、庶民の哀歓を描いて小津リアリズムをうち出す。その後「東京の合唱」(6年)「生まれてはみたけれど」(7年)やトーキー「一人息子」(11年)を発表。シンガポールへの従軍を経て、戦後は撮影監督・厚田雄春と組んで、笠智衆、原節子らの出演で「晩春」(24年)「宗方姉妹」(25年)「麦秋」(26年)「お茶漬の味」(27年)「東京物語」(28年)「早春」(31年)「彼岸花」(33年)「秋日和」(35年)「小早川家の秋」(36年)など傑作を撮り、溝口健二と並ぶ日本映画界の巨匠として君臨した。37年には映画人として初めて芸術院会員となる。還暦の誕生日に没す。遺作は38年「秋刀魚の味」。低いカメラワーク、会話中の人物を正面からとらえる構図などの技法に独自のものがあり、海外でも高い評価を得ている。没後もしばしば映画祭で特集を組まれ、墓参に訪れる映画人が絶えない。60年には小津へのオマージュとしてヴィム・ヴェンダース監督により映画「東京画」が製作された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「小津 安二郎」の解説

小津 安二郎 (おづ やすじろう)

生年月日:1903年12月12日
昭和時代の映画監督
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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