小渕 恵三(読み)オブチ ケイゾウ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小渕 恵三」の解説

小渕 恵三
オブチ ケイゾウ*


肩書
衆院議員(自民党),第84代首相,元・自民党総裁

生年月日
昭和12年6月25日

出生地
群馬県吾妻郡中之条町

学歴
早稲田大学文学部〔昭和37年〕卒 早稲田大学大学院政治学研究科

経歴
昭和38年大学院在学中に群馬3区から衆院議員に当選、以来当選12回。郵政政務次官、建設政務次官、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、衆院安全保障委員長などを歴任し、59年自民党副幹事長。62年竹下内閣官房長官就任し、“平成”の元号を発表して有名になった。平成3年自民党幹事長。4年竹下派会長に選ばれたが、同年12月竹下派が分裂小渕派として継承。6年党副総裁となり、9年第2次橋本改造内閣の外相に就任。10年7月橋本首相の後任として、党総裁選の末、梶山静六、小泉純一郎を破り、同月首相に就任。11年1月小沢一郎党首率いる自由党と連立して内閣を改造。9月の党総裁選で加藤紘一、山崎拓を抑え再選すると、10月に公明党を加えた3党連立による第2次改造内閣を発足させた。12年4月脳こうそくで倒れて総辞職、以来こん睡状態が続いていたが、5月に入院先で死去。首相在任中は経済再生などに尽力し、金融再生関連法を成立させたほか賛否両論の日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法、国旗・国歌法、通信傍受法など次々と成立させ、自自公の巨大与党を作った。また“人柄のオブチ”と呼ばれ、“ブッチホン”の流行語を生み出すほど頻繁に電話を掛ける気配りを見せた。

没年月日
平成12年5月14日

家族
父=小渕 光平(衆院議員) 兄=小渕 光平(中之条町町長) 妻=小渕 千鶴子 長女=小渕 暁子(イラストレーター) 二女=小渕 優子(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小渕 恵三」の解説

小渕 恵三
オブチ ケイゾウ

昭和・平成期の政治家 衆院議員(自民党);元・首相;元・自民党総裁。



生年
昭和12(1937)年6月25日

没年
平成12(2000)年5月14日

出生地
群馬県吾妻郡中之条町

学歴〔年〕
早稲田大学文学部〔昭和37年〕卒,早稲田大学大学院政治学研究科

経歴
昭和38年大学院在学中に群馬3区から衆院議員に当選、以来当選12回。郵政政務次官、建設政務次官、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、衆院安全保障委員長などを歴任し、59年自民党副幹事長。62年竹下内閣の官房長官に就任し、“平成”の元号を発表して有名になった。平成3年自民党幹事長。4年竹下派会長に選ばれたが、同年12月竹下派が分裂、小渕派として継承。6年党副総裁となり、9年第2次橋本改造内閣の外相に就任。10年7月橋本首相の後任として、党総裁選の末、梶山静六、小泉純一郎を破り、同月首相に就任。11年1月小沢一郎党首率いる自由党と連立して内閣を改造。9月の党総裁選で加藤紘一、山崎拓を抑え再選すると、10月に公明党を加えた3党連立による第2次改造内閣を発足させた。12年4月脳こうそくで倒れて総辞職、以来こん睡状態が続いていたが、5月に入院先で死去。首相在任中は経済再生などに尽力し、金融再生関連法を成立させたほか、賛否両論の日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)関連法、国旗・国歌法、通信傍受法など次々と成立させ、自自公の巨大与党を作った。また“人柄のオブチ”と呼ばれ、“ブッチホン”の流行語を生み出すほど頻繁に電話を掛ける気配りを見せた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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