小渕恵三内閣(読み)おぶちけいぞうないかく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小渕恵三内閣」の意味・わかりやすい解説

小渕恵三内閣
おぶちけいぞうないかく

(1998.7.30~2000.4.5 平成10~12)
1998年(平成10)7月に成立した自由民主党内閣。当初は自民党単独内閣であったが、1999年1月の第一次内閣改造で自由党との連立内閣となった。衆議院では過半数を超えたが、参議院では連立後も過半数に届かず、法案ごとに民主党や公明党との連合を余儀なくされた。しかし同1999年10月の第二次内閣改造で公明党を加えた三党連立内閣となり、衆参両院で過半数を確保した。

 1998年7月の参議院選挙で自民党は16議席も減らす当選者44名と惨敗し、非改選とあわせても参議院の過半数を下回ることになった。選挙結果の責任をとって橋本龍太郎総裁辞任、小渕派会長で第二次橋本内閣の外相であった小渕恵三が後継総裁に選出された。橋本内閣総辞職を受けて開かれた臨時国会では、衆議院が小渕を首班に指名したのに対し、参議院は民主党代表の菅直人(かんなおと)を首班に指名した。憲法の規定により衆議院の議決が優先され小渕内閣発足したが、参議院での少数与党という現実を突きつけられた多難なスタートとなった。

 内閣の最初の課題は1997年の北海道拓殖銀行と山一証券の破綻(はたん)、1998年の日本長期信用銀行(現、SBI新生銀行)と日本債券信用銀行(現、あおぞら銀行)の破綻などの金融危機にどう対処するかという景気対策であった。そのため蔵相に元首相の宮沢喜一(きいち)、経済企画庁長官に作家で経済評論家の堺屋太一(さかいやたいち)(1935―2019)を起用した。金融危機対策として秋の臨時国会に提案された金融再生関連法案は、民主党などの野党案を「丸のみ」した修正を経てようやく成立した。このため当初は短命内閣との観測が強かった。しかし景気対策として1998年度補正予算と1999年度当初予算を一体のものとする「15か月予算」方針を打ち出し、減税問題などで公明党の主張を受け入れ、さらに1999年1月に自由党と閣僚数の削減、国連平和活動への「積極協力」、衆院比例区の定数削減などで合意し、自由党幹事長の野田毅(たけし)(1941― )を自治相として入閣させることで、自民・自由・公明3党が事実上の連合政権を発足させ、政権基盤が強化された。その結果、1999年度当初予算は戦後もっとも早い時期に成立、日米安保体制の強化を目的とする「日米防衛協力のための指針」(日米新ガイドライン)関連法案も3党の修正合意によって成立、さらに「国旗・国歌法」「通信傍受法」「改正住民基本台帳法」なども成立した。1999年10月に発足した第二次改造内閣は自民・自由・公明3党による実質的な連立内閣となったが、政権運営をめぐる対立から2000年(平成12)4月に自由党が連立を離脱、その直後に小渕が脳梗塞(のうこうそく)で倒れ、内閣は総辞職した。

[伊藤 悟 2019年2月18日]

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百科事典マイペディア 「小渕恵三内閣」の意味・わかりやすい解説

小渕恵三内閣【おぶちけいぞうないかく】

1998年7月30日〜2000年4月5日。自由民主党単独内閣として発足。1998年7月の参議院選挙での自民党大敗により橋本龍太郎総裁が辞任,内閣総辞職し,新しく総裁に選ばれた小渕恵三が首相となって組閣(参議院では民主党代表菅直人を指名)。未曾有の不況のなかで〈経済再生内閣〉をうたい,大蔵大臣に元総理大臣宮沢喜一,経済企画庁長官に民間から堺屋太一を起用,また文部大臣には参議院議員初当選の元東大学長有馬朗人(あきと)を据え,1998年12月には金融再生委員会を発足させた。ただし組閣後最初の内閣支持率は史上最低を記録。同年10月には韓国の金大中大統領の訪日に際して〈日韓共同宣言〉を発し,日本の植民地支配につき〈反省とお詫び〉を表明,日韓の未来志向の関係構築をうたった。1999年1月,自由党との連立による改造内閣が発足。1999年10月には公明党が連立に加わり,第2次改造内閣が発足した。2000年4月小渕首相の緊急入院のため内閣は総辞職し,森喜朗内閣に交代した。
→関連項目55年体制日本

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「小渕恵三内閣」の解説

小渕恵三内閣
おぶちけいぞうないかく

自由民主党総裁の小渕恵三を首班とする平成期の内閣(1998.7.30~2000.4.5)。橋本竜太郎内閣退陣の後をうけて自民党単独内閣として発足。蔵相に宮沢喜一元首相を起用して経済再生を最大の課題とし,1998年(平成10)金融再生関連法を成立させた。99年1月自由党(小沢一郎党首)との連立内閣となり,日米ガイドライン関連法,国旗・国歌法などを制定。2000年4月首相が急病で倒れ重態となったため,青木幹雄官房長官が首相臨時代理に就任し内閣総辞職。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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