小野 葉桜(読み)オノ ハザクラ

20世紀日本人名事典 「小野 葉桜」の解説

小野 葉桜
オノ ハザクラ

明治・大正期の歌人



生年
明治12(1879)年6月15日

没年
昭和17(1942)年10月9日

出生地
宮崎県東臼杵郡西郷村小川吐

本名
小野 岩治

経歴
農家に生まれ、20歳ころから小学校代用教員などに就く。明治37年上京、ドイツ語学校に通う。隣町の宮崎県東郷町出身の歌人・若山牧水とは文学仲間で、故郷回覧雑誌「野虹」を出し、同年遅れて上京して来た牧水と親交を続ける。同年日露戦争で召集され勉強を断念。戦後は再上京を果たせず宮崎で薬店を開く傍ら、種々の社会事業に取り組む。若くして郡会議員にまでなったが、頭部を強打する事故で議員を辞職政敵による闇討ちといわれる。以後は裁縫教師の妻のかせぎで生活しながら、歌に打ち込むが、30歳代半ばに病気の悪化で作歌を断念。昭和62年故郷・西郷村の「さいごう文芸」の人々が中心になって歌稿を印刷出版、平成4年にはその後の研究成果も含めて新訂版の歌集「悲しき矛盾」が出版された。また西郷村により葉桜短歌賞が創設された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android