小野 芳甫(読み)オノ ヨシオ

20世紀日本人名事典 「小野 芳甫」の解説

小野 芳甫
オノ ヨシオ

明治〜昭和期の医師



生年
明治5年10月2日(1872年)

没年
昭和23(1948)年11月25日

出生地
青森県

旧姓(旧名)
鳴海

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治36年〕卒

経歴
旧黒石藩士鳴海家に生まれ、母の実家で代々弘前藩医を務めた小野家の養子となる。独逸協会中学校・第五高等学校に学んだのち、明治33年に東京帝大医科大学に入学し、内科専攻。37年に養父の経営していた小野医院を継ぐために帰郷し、のち土地の有力者の援助を受けて蘇剤医院を開業、新療法の導入や結核予防徹底のための講習会開催など積極的に活動した。しかし大正8年火災で医院が燃焼、支持者の後援で再建し、医療活動を続行するとともに中郡医師会長や県医師会評議員などを務めた。昭和10年に医院を小野病院と改称するが、戦時中の国策により19年同病院の施設を日本医療団に委譲。終戦後の医療団解散によって23年施設が小野家に返還され、その直後に死去

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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